今朝産経新聞を見たら、一面にどーんと憲法改正の試案が掲載されていました。
現行憲法の、特に前文は翻訳調の悪文であることは、かねてより指摘されてきたところです。
それをこなれた日本語に直し、ツッコミどころ満載の不可思議な部分をざっくり修正しています。
ユーモアあふれる小説で知られる作家の清水義範によれば、現行憲法は高度なボケなんだとか。
言い得て妙とはこのことですねぇ。
きっとツッコミが得意なお笑い芸人のみなさんにとっては、うずうずするようなボケの宝庫なんでしょうね。
悪文と言えば、ノーベル文学賞を受賞した大江健三郎が有名ですね。
嘘か真か、まず英語で作品を書き、しかるのち翻訳しているのではないか、という疑惑がもたれているくらいです。
で、悪文家は悪文がお好きと見えて、この人が現行憲法を擁護すること尋常ならざるものがあります。
しょせん人間社会がうまくまわるように作られた法律に過ぎないものをまるで宗教の教典であるかのように崇めたてまつり、歴史上存在したことがなく、おそらくこれからも存在し得ないであろう善人しかいないユートピアが現行憲法によって実現し得るかのごとき幻想をお持ちだったようです。
よほどお人がよろしいようで。
しかるにわが国政府は、ジュネーブで開催された核拡散防止条約の会議において、核不使用の宣言への署名を拒否しました。
わが国は唯一の被爆国であることを盾に核兵器に反対するようなポーズを見せながら、戦後一貫して核不使用や核兵器廃絶の文書への署名を拒否し続けています。
まぁ、米国追随なんでしょうが、このたびは安倍総理が、いかなる場合にも核兵器を使用しない、という文言のうち、いかなる場合にも、に問題があると明確に理由を説明しましたね。
それは当然のことで、わが国には米国の核兵器が存在するでしょうから(非核三原則によって表向きは存在しないことになっていますが)、いざという時それを使えないのでは、抑止力にならないと判断したのでしょう。
わが国が置かれた地政学的な意味を考えれば当然の判断であろうと思います。
核兵器の存在が核大国同士のガチンコ対決を阻止してきたことはまごうことなき事実。
キューバ危機の時は米国政府もソビエト政府も本気で核戦争を覚悟したそうですが、結局、核への恐怖が戦争を回避させました。
大国同士の戦争が起きない、核兵器が存在するがゆえの恐怖による平和がここ60年続いています。
それは人間の愚かさを示すと同時に、理由はどうあれ平和は維持されたほうが良いということを現わしています。
人間の限界を知ったうえで、浪漫的に政治をとらえず、醒めきった態度を保ち続けることが、政治家に求められる資質のような気がします。