政治家の主たる仕事というのは、言うまでもなく法律を作ったり改正したり廃止したりすること。
民主主義国家においては、基本的に何事も多数決で決められます。
極端な話、半分+1人の賛成で法律は成り、半分-1人の意見は尊重されることはあっても結果的には切り捨てられます。
そう考えると、政治家の仕事はシビアですね。
憲法改正に限っていえば、衆参両院で3分の2が賛成し、さらに国民投票で過半数の人々が賛成しなければ、改正は成りません。
厳しい要件に胡坐をかいて、今に至るまで憲法改正が成らなかったことは、政治の不作為とも言うべきで、政治家のみなさんには反省を求めたいところです。
今朝の某新聞に、興味深い記事がありました。
民俗学者の柳田國男の言葉を引用し、法律の改廃、制定にあたる者の心構えを説いたものです。
「時代ト農政」に書かれているそうです。
国家の生命が永遠でありますならば、予め未だ生まれてこぬ数千億万人の利益をも考えねばなりませぬ。
況や我々は既に土に帰したる数千億万人の同胞を持って居りましてその精霊もまた国運発展の事業の上に無限の利害の感を抱いているのであります。
ごもっとも。
中曽根元総理が、政治家は歴史という法廷の被告、と言ったことがあります。
しかし民意を元に政治活動を行わなければならない民主主義国家においては、その責任は小さいにしても、全ての国民が歴史という法廷の被告であらねばならないでしょう。
これはいかにも荷が重く、民主主義国家においては何をおいても教育を充実させ、民度の高い国民を形成しなければ、国民一人一人がその任を全うすることはできますまい。
私たちはすでにこの世に無い、しかしこの国を形作ってきた多くの先人の魂にも、また、今後生まれてくるであろう多くの人々にも思いを馳せ、今を生きる私たちの当代かぎりの利害に汲々とすることなく、広い視野であらゆる現実の問題に対処しなければなりますまい。
それには、私たち人間は横の繋がりもさることながら、はるか過去の同胞、遠い未来の同胞と繋がって生きているのだということを、深く心に刻む必要があります。
人間どうしても目先の利益にとらわれがちですが、過去や未来を現在と同様にとらえる態度を涵養することが、品格ある国家への道であるように思います。
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