原爆投下は神の罰?

社会・政治

 韓国の大手新聞、中央日報が、原爆投下は神の罰、と書いて、韓国の反日的言動には慣れっこで、ほとんど黙殺しているわが国政府も、わが国のマスコミも、さすがに許せないとばかり、激しく反発しているようです。

 菅官房長官は「記事の表現は誠に不見識だ。わが国は唯一の被爆国なので、こうした認識は断じて許すことはできない」と批判。
 同時に、21日にソウルの日本大使館から中央日報に抗議したそうです。

 さらに原爆投下を、日本の軍国主義の犠牲になったアジア人の復讐、とまで書いているそうです。

 空いた口がふさがらないとはこのことです。

 わが国ではかつて、敵味方供養と称して、戦が終われば敵兵も含めて供養するのが当たり前で、あの苛烈を極めた元寇においてさえ、戦が終わった後は憎いはずのモンゴルの犠牲者もわが国の武士と一緒に供養したというのに。


 第二次世界大戦は、世界の主要軍事大国が最初にして今のところ最後の、いわゆる総力戦です。

 総力戦とは、戦場で戦う兵隊のみならず、本国に住まう国民も、空襲の恐怖に怯え、かつあらゆる方法で勝利のために国家国民が総動員される体制のことと言ってよいでしょう。
 そのような状況のなか、何が何でも勝利をおさめるために連合国も枢軸国も手段を選ばぬ大量破壊、大量殺戮を行いました。
 その文脈でとらえれば、わが国は米国による原爆投下を単純に非難することはできません。

 しかし、少なくとも第三国が、原爆投下は神の罰だなどと、よく恥ずかしげもなく言えたものです。
 しかも彼の国のオピニオンリーダーとも言える大手新聞が、本気でそんなこと考えているのでしょうか。

 かつて、石原莞爾世界最終戦争論を唱えて満州事変を引き起こし、わが国を泥沼の激戦に導くきっかけを作りました。

 彼曰く、世界最終戦争論とは、東洋の代表たる大日本帝国と、西洋の代表たる米国とが生き残りを賭けた総力戦を戦い、わが国が勝利し、東洋的理念に基づいた世界秩序のもと、恒久平和が保たれる、という、何ともロマンティックな考えです。

最終戦争論 (中公文庫BIBLIO20世紀)
石原 莞爾
中央公論新社

 

マンガ最終戦争論 (PHPコミックス)
江川 達也
PHP研究所

 彼は時の首相、東条英機にうとまれ、あらゆる役職を解任されて隠居生活に入ります。
 しかし戦局の悪化のため、やむを得ず東条英機は石原に意見を求めます。

 すると石原は、戦線の拡大は必ず補給路を断たれるから、太平洋においては本土空襲の基地となる距離のサイパン死守に徹し、広げ過ぎた戦線から撤退するよう求め、東条英機はせっかく分捕った島を棄てられるかと激怒し、結局石原の考えが入れられることはありませんでした。

 歴史にifは禁物ですが、サイパン死守に徹し、太平洋各地に散らばった日本軍をサイパンに集中的に投入すれば、後の本土空襲による悲劇を避けられたかもしれません。

 結果的に、勝者は米国でしたが、日米ガチンコ対決の後、少なくとも大国同士のガチンコ対決は70年ちかく起きておらず、米国の価値観に支配された世界で、長いこと大きな戦争は起きていません。

 世界最終戦争論という荒唐無稽に見える思想も、あながち間違いだったとは言えますまい。
 日本国憲法が公布された際、石原は「数年を経ずして必ず米国はソ連に対抗するために日本に再軍備を求めてくる。しかし、この憲法を盾に絶対に応じてはならない。米国の属国になるわけにはいかない」と、これまた未来を予想して見事的中させています。

 端倪すべからざる人物です。

 それに比べて韓国の大手新聞というのは、ずいぶん情緒的というか、短絡的というか、子供っぽいというか、わが国の悪口を書いていさえすれば新聞は売れると思っているのでしょうか。

 私の職場に、五年間ソウルに留学し、韓国人女性と結婚した者と、学生時代1年間ソウルに留学した者がいます。
 彼らが言うには、韓国マスコミと一般の韓国人の意識は乖離しており、マスコミが反日宣伝に精を出しているのに比べて、一般の韓国人はほとんど反日的な意識は無いそうです。
 むしろ非常に親切で、暑苦しいくらいの友情を向けてくるとか。
 ただし、街頭インタビューなどでマイクを向けられると、判で押したように反日的なことを言うそうです。
 それがかの国の建前なのでしょうねぇ。

 ソウルの二度泣きという言葉もあるとか。

 日本からソウルへ転勤を命じられて、行きたくないと言って泣き、ソウルから日本へ帰国するよう辞令がでて、帰りたくないと言って泣くからだそうです。
 日本人にとってはソウルは居心地が良いらしいですねぇ。

 国民の意識と乖離した新聞や政府は、長くはもたないんじゃないでしょうか。


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