7個不講

社会・政治

 先ごろ中国政府が、国内の教育機関に、7個不講という通達を出したことが報道されました。
 7個不講とは、大学で教えてはならない7つの事柄という意味だそうです。

 すなわち

  ①「普遍的価値」、
  ②「報道の自由」、
  ③「公民社会」、
  ④「公民の権利」、
  ⑤「党の歴史上の誤り」、
  ⑥「権貴資産階級(権力者と資本家が癒着したことによって生まれた社会階級)」、
  ⑦「司法の独立」、

 
の7つだそうです。

 これは私たち自由民主主義国家に住む者にとって、必ず教わる必修事項。
 共産党独裁下にあっては、私たちの常識とは真逆で、これらを教えてはならないというのだからたまげます。

 私はてっきり、共産主義の正義を徹底して教え込む過程で、これらの概念を批判的に教え、否定するのだとばかり思っていました。

 教えないということは、すなわちそれらが中国人民を覚醒させ、体制崩壊につながってしまうことを怖れているのだとしか思えません。

 裏を返せば、上の7つの概念が正しいと思っているということになります。
 そうすると、かなり漫画チックな通達ですねぇ。

 もっとも、中国の大学などでは、それほど厳密に守っているわけではないようです。
 文化大革命の恐怖を肌で知っている老教員はともかく、それより若い世代の教員は、もはやレッド・チャイナと言えど、国際社会からの非難を怖れ、露骨な人権蹂躙を行うことはできないと、高をくくっているという話を聞きました。

 そうだとよろしいのですが。

 この世に世界共通の普遍的な価値観が生まれたことはなく、今もそんなものは存在せず、おそらく未来永劫生まれないでしょう。

 今ではわが国で最も重要とされている人命尊重という観念でさえ、わずか70年前まではそんなことを言えば腰抜けとされていました。

 だからこそ世界に例を見ない、特攻と言う名の自殺行為を国家ぐるみで推し進め、しかもそれは称賛される行為でした。

 生きて虜囚の辱めを受けず、という戦陣訓によって、落とさずにすんだはずの命がどれだけあったか知れません。

 しかもそれを言い出した東条英機本人は、ピストル自殺に失敗して連合軍に逮捕されてしまったのだから皮肉なものです。

戦陣訓の呪縛―捕虜たちの太平洋戦争
Ulrich Straus,吹浦 忠正
中央公論新社

 そして戦中、鬼畜米英とまでこきおろしていたにも関わらず、敗戦後、わが国の国会は、鬼畜米英の親分たるマッカーサー元帥の治世を賛美し、感謝決議などという屈辱的な行為に出るまでに、骨抜きにされてしまいました。

 明治維新の時だって、攘夷を訴えて外国勢力を追いだそうとした人々があっという間に転向し、和魂洋才などと言って欧米の文化文明を学び始めました。

 ことほど左様に価値観やものの見方というのは時代の要請によって変化していきます。

 価値観は変化する、ということだけが、普遍的事実かもしれません。

 したがって私は、私以外の者を一切信用していません。
 それは家族だろうと友人だろうと同じこと。

 しかしだからこそ、私は過激な宗教や過激思想を信じ込み、そのために犯罪的行為をも厭わない人が羨ましく感じられます。

 もし骨の髄まで洗脳されて、ある狭い価値観に縛られて生きることができたら、こんなに幸せなことはなかろうと思いつつ、疑い深い私は、何も信じられないおのれの卑しい性を嘆いて、ため息をつくほかないのです。


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