米国の連邦最高裁が、同性婚を認める判決を下したことが話題になっています。
欧州諸国では、同性婚を認め、通常の異性同士の婚姻と同様の権利を認めることが当たり前になっている現在のご時勢を考えれば、当たり前すぎる判決と言えるでしょう。
ただ、欧州諸国に比べて、米国はキリスト教保守派が多いため、生殖目的以外の性交を認めず、コンドームすら否定するキリスト教保守派が多数を占める米国の国柄を考えれば、同性婚を当たり前のように認める欧州諸国のようなわけにはいかないことも理解できなくもありません
翻ってわが国では、同性婚を認めるかどうかが話題になることすらほとんどありません。
婚姻というのは、元を正せば子孫を残すための装置だったわけで、そういう意味では、同性婚というのは本来の婚姻の在り方から逸脱していると言わざるを得ません。
しかし、現代社会の重要な価値観の一つに、多様性を認めることが挙げられます。
そうであってみれば、例え多くの人にとって理解不能でも、さらに言えば同性愛者に嫌悪感すら抱いていても、それはそれとして、そういう人々が存在することを認め、彼らの人権を擁護し、権利を保障することは、死活的に重要なことだと思います。
人間というもの、驚愕すべきほど多様なものです。
おのれ1人の小さな常識にとらわれてしまうのは私もそうですが、思い切ってその小さな常識の殻を破り、理解不能な人々の権利を擁護し、それら少数派の人々の真なる幸福を願わずにはいられません。