今日はわが国及び世界にとって、悲しむべき日です。
米国が1945年に、ニュー・メキシコ州において、人類初の核実験に成功したのです。
マンハッタン計画と呼ばれたこの悪魔の計画の成功後、わずか一カ月も経ずに実際に使用されました。
言わずと知れた8月6日の広島、8月9日の長崎への原爆投下です。
もちろん、核兵器については、米国のみならず、わが国もドイツも極秘裏に開発を進めていました。
しかし最初に核実験に成功したのが米国であり、実際に使用したのも米国でした。
その後、核兵器のあまりの破壊力の大きさゆえ、実際に使用することはできなくなりました。
激しい米ソ冷戦期、キューバ危機に際しては米ソ両政府が全面核戦争を覚悟したと伝えられますが、核兵器への恐怖から、ぎりぎりのところで回避されました。
その後核兵器はどんどん増強されましたが、実際に使用されることはなく、事実上、使えない兵器となりました。
それもこれも、広島と長崎への投下によって、言わば日本人をモルモットにすることによって得られた教訓のおかげだと言って良いでしょう。
しかし恐怖による平和というのは、人間性に合致しているものらしく、全面核戦争は回避しなければならない、という恐怖心が、核大国同士の全面戦争を不可能にするという副産物を生みだしました。
どういう理由であれ、平和が維持されるのは悪いことではありますまい。
その後1960年代、時の首相佐藤栄作は、非核3原則を唱えながら、極秘に核開発を進めようと画策し、当時の西ドイツに共同開発を持ちかけたことが、最近明らかになりました。
佐藤首相にしてみれば、自前の核兵器を持って、米国のくびきから離れ、独自に超大国への道を模索しようと考えたのでしょう。
自前の核兵器を持っていれば、外国から攻撃されるリスクは格段に低くなるでしょうから。
また、北朝鮮の核開発が問題になるたび、世界は日本の核武装を懸念するという、真に奇妙な光景を見せ付けられることになりました。
世界は今も、独伊敗れて後も、ただ一国で世界を相手に奮戦し、人類史上例を見ない組織的な特攻という馬鹿げた作戦までも遂行したわが国を、密かに怖れているようです。
戦後、日本人は軍事的に骨抜きにされたと言われています。
しかし今、わが国は予算規模においても兵器の性能においても、自衛官の練度や士気の高さにおいても世界有数の精強な軍隊を保持しています。
おそらく一端ことあらば、わが国の国民は一夜にして戦うことを厭わない侍の国に先祖がえりするでしょう。
70年かそこらで、国民性が大きく変化するはずもありません。
そうならないようにするためには、わが国は他国がわが国をためらうような強力な軍隊を保持し続けるしかありますまい。
真に馬鹿馬鹿しいことではありますが、猿の子孫たる人間の限界と言わざるを得ません。
もし人間がイルカの子孫だったら、こんな面倒くさい、血なまぐさいことを画策しなくても良かったであろうにと、残念でなりません。