40代半ばに達し、時の流れの残酷さに気付くようになりました。
人は必ず老い、死んでいきます。
こればっかりは、どんなに権力を握ろうと、金をもうけようと、誰にも訪れる問題です。
そのことを歌って、沢田研二の「時の過ぎ行くままに」は、あまりにも切ない名曲でしょう。
亡父は、雪のちらつく浅草寺の五重塔が良く見える病室で、その命を終えました。
亡父は常におのれのダンディズムを大切にし、そのことは幼い私にも分かるほどでした。
そしてそのダンディズムに殉ずるかのように、ほとんど苦しむこともないまま、モルヒネで痛みを取って、静かに、逝きました。
私は死ぬ時まで格好つけやがって、と思いながら、家族の前では平静を装いました。
しかし、自宅マンションに帰って、同居人を前に問わず語りに亡父との思い出を語るうち、涙枯れるほど、泣き続けることになったのでした。
私の邪悪と亡父の悪を、私たち親子は気付いていたのだと思います。
邪悪と悪が分かちがたく結びついた時、その関係性は限りなく深いものにならざるを得ません。
そういうわけで、私と亡父は、母にも兄弟にも親戚にも理解不能な、奇妙な関係性を築いていたものと思っています。
今、亡父は涅槃に至ったのでしょうか。
あるいは、長い中有の闇を彷徨っているのでしょうか。
さらには、どこかに転生を遂げたのでしょうか。
誰にも分かりません。
しかし私は、亡父のような死に方を望みません。
私は、若い者が震え上がるような、苦痛に満ちた死を、若い者に見せつけて、困苦の末に亡くなりたいと思っています。
それが、死に行く者が生きている者にできる最大の教育であろうと思います。
人が死ぬということ、生易しいことではないということ。
そういう意味では、ダンディズムに殉じた亡父は、死に行く者の重要な役割を放棄したものと思います。
私には亡父ほどのダンディズムを持ち合わせていません。
それならいっそ、私は七転八倒の苦しみのなか死ぬしかない老人の姿をさらすことによって、若い者の死生観を育てたいと思っています。