朝、テレビを付けたら2020年のオリンピック開催地が東京に決まったというニュースで持ち切りです。
私はあまり2度目の東京オリンピックを望んでいませんでしたが、ニュース映像で招致団が飛び上がって喜ぶ姿や、都内のスポーツ・バーで熱狂的に喜ぶ若者、前の東京オリンピックで選手のブレザーを必死で仕立てたという年寄が涙を流して喜ぶ姿を見て、決まってしまった以上、これを成功させるために日本人として応援せざるを得ない、という気持ちになりました。
近代オリンピックの父、クーベルタン男爵は、オリンピック精神の普及によって、弱肉強食とも言うべき帝国主義全盛の時代に平和を訴えようと高邁な理想を掲げましたが、近代オリンピックというもの、現実にはその時々の世界情勢に翻弄され続けてきました。
ナチが宣伝に使ったり、昭和16年に予定されていた東京オリンピックが中止に追い込まれたり、冷戦下、モスクワ・オリンピックではわが国を含め自由主義陣営はボイコットし、次のロサンゼルス・オリンピックではソビエトなど共産圏がボイコット。
わが国がモスクワ・オリンピック不参加を決めた時、柔道の山下選手が涙ながらに参加を訴えていた姿は、当時小学生だった私にも、わが国はなんと理不尽なことを、と憤りを覚えました。
ロス五輪の時、私は中学生でしたが、共産圏からただ一国参加したルーマニア選手団が開会式で入場した時、割れんばかりの拍手が沸き起こったことをよく覚えています。
このたびのオリンピック開催地の選定では、近々行われるIOC会長選挙を控え、最も多くのIOC委員を輩出している欧州諸国が、会長も開催地も欧州では他地域の反発をくらうと考え、会長選挙で勝つためにマドリードを選ぶ気は端からなかった、という説を聞きました。
いやらしいですねぇ。
一方、イスラム圏初、東西の架け橋という大義名分を掲げたイスタンブールは、これと言って大義の無い東京よりも有利と考えられていましたが、反政府デモが起きたり、隣国シリアで激しい内戦が勃発したりといった政治的問題で、ついに選ばれることはありませんでした。
東京が良いというよりも、インフラ、安全性、経験などを考えると比較的マシという消極的理由で選ばれたように感じます。
理由はどうあれ東京に決まった以上、選手村や競技施設の準備に万端を期すのはもちろん、押し寄せる外国人の宿泊場所や、観光できる東京近辺の観光地の整備、さらにはわが国を広くアピールする方法など、広い意味で東京オリンピックを成功させ、さらには利用すべく、努力しなければなりますまい。