私は長く、悲哀や憂鬱が続く精神障害に苦しみ、最近、大分良くなりました。
しかし思い起こしてみると、精神障害発症前から、いわゆるメランコリー親和型性格と呼ばれる特徴を物心ついた時から持っていたように思います。
すなわち、几帳面、完璧主義、気が利きすぎる、環境の変化に弱い、などです。
西洋において、古代にはメランコリーは否定されるべき悪しき性格特徴でした。
しかし、古代ローマにおいて、唯一、アリストテレスだけは、断片的ではありますが、メランコリー親和型性格を、天才の必須条件である聖なる狂気と呼んでこれを肯定しています。
その後も長くメランコリーは忌避されてきましたが、例えばシェイクスピアの「ハムレット」のように、常に憂愁に囚われている貴種を主人公としたり、さらにはロマン主義がにわかに起こり、ゲーテの「若きウェルテルの悩み」など、メランコリーを正面から扱う芸術運動が勃興し、それは美術においても音楽においても見られる現象です。
![]() | 新訳 ハムレット (角川文庫) |
William Shakespeare,河合 祥一郎 | |
角川書店 |
![]() | 若きウェルテルの悩み (新潮文庫) |
高橋 義孝 | |
新潮社 |
![]() | 若きウェルテルの悩み (まんがで読破) |
ゲーテ,バラエティアートワークス | |
イースト・プレス |
その後それらの芸術はカウンター・カルチャーから、むしろメジャーな芸術へと変貌を遂げていきます。
それは多分、産業革命などの近代化が生んだ副作用なのでしょう。
産業革命以降、人々の生活は大きく変わりました。
農業や漁業のような第一次産業に携わる人が減り、非人間的とも言うべき工場労働やサラリーマンなどの職種に就かざるを得ない時代がやってきた、ということですね。
うつ病患者は特に勤め人に多いと言われていますね。
時間を切り売りして安い賃金で働くことがいかに健康を害するか、分かろうというものです。
今やむしろメランコリー的要素が無い芸術作品を探すほうが難しくなってしまいました。
いよいよ現代人は病膏肓に入ると言うべき状態に陥ったのかもしれません。
倉橋由美子は、これらを神経症の芸術、と呼んで忌み嫌い、擬古典的な美的世界の復権を叫びましたが、もはやそんなことは夢のまた夢。
言わば人類総メランコリー親和型みたいになってしまっているのですから。
おそらく現在進行中の情報革命は、産業革命以上に劇的な変化を人間精神にもたらすでしょうし、すでにもたらしつつあります。
ネット上で見られる誹謗中傷やイジメなどは、ほんの始まりに過ぎないのだろうと思います。
どういう風に人間精神が変化していくのかはまだ誰にも分かりませんが、それがメランコリーを誘発あるいは巨大化させるものでなければ良いと、心底思います。
しかし私の直感は、情報革命の果てにはメランコリーの肥大化どころではない、人間精神の荒廃が訪れるものと危惧しています。
そういう私自身、職場では一日中パソコンを使って仕事をし、帰宅すればこうやってパソコンに向かって記事を書いているわけです。
私は120歳までも生き続けたいという欲求を持っています。
情報革命が行き着く果てを、この目で確かめたいのです。