歌人にして国文学者の岡野弘彦先生がこのたび、文化功労者に選ばれました。
御年89歳。
国文学者・民俗学者としては折口信夫(おりくちしのぶ)、歌人としては釈迢空(しゃくちょうくう)の名で活躍した大先生の愛弟子であった方です。
![]() | 古代から来た未来人 折口信夫 (ちくまプリマー新書) |
中沢 新一 | |
筑摩書房 |
昭和54年から平成20年まで、長きにわたって歌会始の撰者を務め、同時に皇族の和歌指南を務めていただけに、このたびの文化功労者は遅きに失した感があります。
私は大学生の頃、岡野先生に源氏物語を学びました。
授業科目の名は中古文学概論でしたが、概論とは名ばかりで、実際は演習でした。
ある時は羽織袴、ある時は英国紳士風のブレザー姿で現れる洒落者で、しかもロマンチストで涙もろい人で、源氏物語のすばらしさを解説しつつ、思わず感極まって声を詰まらせるということが何度もありました。
また、たいへん厳しい講義で、文学部の学生なのにずいぶん勉強に時間を取られ、バブルまっただ中でもあり、騙されたような気分がしました。
当時、秋篠宮殿下が紀子妃殿下と結婚することが決まり、花嫁修業の一環として和歌の指南を仰せつかったはよいけれど、およそ歌心の無い女性だったようで、たいそう苦労したようです。
また、東京に住んでいては歌心が生まれぬとかで、熱海の海岸に住まいし、新幹線で通っていたそうで、月が出たならば、深夜、海岸で法螺貝を吹くのが趣味だが、それをやると真っ暗だった旅館の窓に次々明かりがつくので、慌てて逃げなければならない、と悪戯そうに語っていましたっけ。
角川春樹社長と仲良しで、一緒に熱海の海岸で法螺貝を吹く仲だったとか。
角川春樹社長は当代随一の俳人。
歌人と俳人とで、気が合ったようです。
定年を待たず、私が在学中に退職されました。
なんでも「現代版「伊勢物語」のような和歌と物語を融合させた小説を書きたいから」、と言っていましたが、あれから四半世紀、未だ完成させたという話を聞きません。
今日の新聞のインタビューでも「小説を書きたい」と言っていました。
思うに歌作と散文書きは似て非なるもので、和歌をよくするからと言って、やすやすと小説が生まれるものではありますまい。
師匠が歌人として活躍しながら、「死者の書」などの優れた小説を残したことに触発されたのかもしれませんねぇ。
![]() | 死者の書・身毒丸 (中公文庫) |
折口 信夫 | |
中央公論新社 |
先生の最後の講義は大学で一番広い講義室で行われ、学生や教職員であふれかえり、大きな花が活けてありました。
私は岡野先生とは犬猿の仲だった別の教授に指導を仰いでいました。
酔えば必ず岡野先生の悪口。
それというのも、折口信夫に憧れて東北の寒村から上京したのに折口信夫は岡野先生ばかりを寵愛し、自分が蔑ろにされたのが、恨み骨髄だったようです。
岡野先生は学生時代、折口信夫邸に住まわせてもらっていたということですから。
もっとも、折口信夫が同性愛者であったことは公然の秘密でしたから、岡野先生とは深い仲だったものと思われます。
その指導教授も10年以上前に亡くなりました。
今日、つけるともなくテレビを付けたところ、岡野先生が登場していました。
短歌フォーラムなる番組で、応募のあった短歌の中から優秀な歌を選び、解説するというものでした。
満蒙に 遺せる妻子 墓誌に刻み 何も語らず 逝きし九十二
という歌を、岡野先生は選んでいましたね。
いくつになっても感傷的な人です。
このたびの文化功労者にお祝い申し上げるとともに、命あるうちに、現代に歌物語を蘇らせるという壮大な野望をかなえて頂きたいと思います。
出版されたなら、必ず読ませてもらいますから。
![]() | 歌集 美しく愛しき日本 |
岡野 弘彦 | |
角川学芸出版 |
![]() | バグダッド燃ゆ―岡野弘彦歌集 |
岡野 弘彦 | |
砂子屋書房 |