最近、職場のある女性と親しくなりました。
親しくなったと言っても、酒を飲みつつ美術や芝居の話をするだけの、他愛無い関係です。
かつては女性の友人など、毎年増えていったのですが、ここ数年では久しぶりです。
男女の友情には、ほんのわずかにせよ、恋情が秘められていることは、経験的に知っています。
要はそのわずかな恋情を認めつつ、飲み友達以上の関係を求めなければ良いだけで、今の性欲衰えた私には、たやすいことです。
相手がそれ以上を求めてきたら、やむを得ず逃げるしかありません。
退屈しのぎの遊びにエネルギーを使う年はとうに過ぎました。
今夜、職場から帰って独り晩酌をやっていると、過去、浅はかな関係を持った女性が次々現れて、私を苦しめます。
それは生霊のような力強いものではなく、ただぼんやりと現れて、私を恨めしげに見るだけです。
おそらくは、若い頃には屁とも思わなかった悪行を、今さらになって悔いる私の精神が見せる幻覚であろうと思います。
思えば20代の頃は、不細工なのに次々女性を落とす先輩に触発されたのか、その先輩と人数を競ったことがありました。
馬鹿なことです。
その先輩の得意技は、私には真似できないものでした。
ひたすらお願いし、土下座せんばかりの勢いで、先輩曰く、それが一番効くと言うのです。
しかし、ダンディズムに殉じた亡父を尊敬し続けてきた私には、そんな格好悪いことは出来ません。
ために、格好悪くても効果的な方法を得意とする先輩に、人数で勝ることはできませんでしたね。
今思えば、女性を人と思わない悪行だったと思います。
だからこそ、今宵、幻に苦しめられているのでしょう。
私の魂の奥底に、若い日の悪行への罪悪感が残っているものと思われます。
同居人が帰宅すればそんな幻も消えると思いますが、近頃同居人は残業続き。
しばらくは幻に悩まされそうです。
しかしそれら幻を感じるたび、私にとって同居人がいかに掛け替えのない存在であるかを痛感させられます。
その同居人ですら、結婚後、付き合っている時はどうせ遊ばれているだけだから、別れを切り出される前に自分から別れようと思っていたと聞かされ、驚愕した覚えがあります。
私はその時ほど、私の悪相と、醸し出す悪な雰囲気を呪ったことがありません。
子どもがいない二人きりの世帯。
私は同居人に依存し、べた惚れしたまま生きていくしかないと思うのです。
同居人は私のブログを読むのが怖いと言って、絶対に読みません。
だからこそ安心して、こんな記事が書けるのです。