銃規制

社会・政治

 もう1年経つんですねぇ。

 米国コネティカット州の小学校で若い男が銃を乱射し、26名が犠牲になった事件から。

 オバマ大統領は銃規制を強めようとしているようです。

 是非そうして欲しいものですが、米国では自分や家族の身は武装してでも自ら守る、という伝統があり、なかなか難しいようです。

 仮に今後銃の販売を大幅に規制したとしても、すでに合法的に購入した銃を取り上げるなんてことは無理でしょうねぇ。

 秀吉の刀狩りじゃあるまいし。

 そうすると、銃が行き渡った社会は今後一切銃を買えないようにしても、相変わらず当分は銃社会であり続けることになります。

 米国の銃の問題、鶏と卵みたいなところがあります。

 簡単に銃を購入できる社会であるため、犯罪者などは銃を持っているはずだという前提の元、善良な一般庶民も身を守るために銃を持つ、ということなのでしょうが、犯罪者もまた、どの家に泥棒に入っても銃を持っているはずだ、と考え、銃がなければ仕事にならない、ということになってしまいます。

 悩ましいですねぇ。

 元をただせば、先住民を虐殺して国を作った人造国家と言う成り立ちのせいで、特に西へ西へと開拓という名の侵略を続ける際、いつ先住民に襲われるか分からないという恐怖と、軍や警察だけではゲリラ攻撃を仕掛けてくる先住民に対応できないという事情から、広く銃が広がったものと推測します。

 それが証拠に、早いうちに米国政府の統治が行き届いた東部諸州は比較的銃規制に寛容で、西部や南部など、米国政府の手がなかなか伸びなかった地域では、今も銃規制に反対する人が多いようです。

 それら諸州では、男の子が12歳になると父親が銃をプレゼントし、家族を守る心構えを教える、という話を聞いたことがあります。
 嘘か真かわかりませんが、我々日本人にはにわかには信じがたいですねぇ。

 先住民から広大な土地を簒奪するといういびつな成り立ちで建国した国家の、永遠のトラウマが、米国民をして、先住民への恐怖が無くなった今も、いつ訪れるか分からない暴力的な襲撃者を怖れるという共通の怖れを持たざるを得なくなったんでしょうねぇ。

 哀れなものです。

 それでもまずは第一歩を歩き始めなければなりますまい。

 銃規制を少しづつ強めて、100年かかってもいいから、米国は銃を持たなくても良い社会を目指すべきでしょうねぇ。

 まぁ、しょせんは他国のことですから、私がどうこう言うことではありませんが。

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