今日は七草粥を食うべき日ですね。
でも実家を出て以来、一度も七草粥を食したことがありません。
晩飯にお粥なんて嫌ですから。
そう言えば今日は亡き父の誕生日。
「俺の誕生日はいつもお粥だ」、と文句を言いつつ、なぜか嬉しそうに粥を食していましたっけ。
生きていれば73歳。
世間的にはやや早い死であったと言わざるを得ません。
しかし父は格好付け。
老醜をさらしたくないという最後のダンディズムが、父をして死に急がせたものと想像します。
最後まで、格好付けていましたから。
もうあと二カ月足らずで3回忌を迎えるのですねぇ。
私にはとてつもなく長い1年10カ月でした。
その間仕事は担当替えになり、ほとんど異動したみたいに仕事内容が変ったり、食欲が落ちてみるみるうちに体重が落ちたり。
内科医には高脂血症や糖尿、高血圧がきれいに治まって褒められました。
精神科医も、父を亡くすという精神上の危機を乗り越え、無事に日々の仕事をこなし続けていることを褒められました。
先日、新年会で実家を訪れた際、最近まで濃密に漂っていた亡父の気配は大分薄まっていました。
人はこうして、死者を忘れて行くのですねぇ。
生きている以上、亡くなった者にいつまでも捉われているわけにはいきませんから。
父が亡くなって1年間くらいは、酔っている時など、突然涙の発作に襲われ、号泣したりすることがありました。
同居人は、22歳の時、18歳の妹を病気で亡くすという経験をしており、そんな私の姿を見て、「涙枯れるまで泣くがよろしい」と言って慰めてくれました。
今はもう、亡父を思いだすこととて無くなりましたが、ふと、今日が亡父の誕生日であったと気付いて、父との間にあった悪友同士のような密かな関係性を思い出さずにはいられませんでした。
高僧でもあった亡父のこと。
私が冥福を祈るまでもありますまい。
正義感が強く、戦闘的でもあった父のこと、極楽でのほほんと暮らすのは性に合いますまい。
今頃地獄で亡者どもを率いて、鬼相手に、鬼以上の鬼の形相で、待遇改善運動でもやっているのではないかと思います。