終戦後、GHQは徹底的に我が国の国力を削ぐ政策を進めました。
一説には、北東アジアの不安定要素は強い日本だけであり、それが消滅すれば北東アジアは平和な地域になると考えたようです。
ところが朝鮮戦争の勃発により、北東アジアの不安定要素は、中国・ソ連・北朝鮮などの共産国であることが判明してしまいました。
米国は手のひらを返したかのように日本に再軍備を求め、経済力の拡充も求めました。
共産圏に対抗するためには、ある程度強い日本が必要だということになったわけです。
我が国はこれに応え、警察予備隊・保安隊・自衛隊と名称は変遷しましたが、要するに軍隊を保持することになったということで、米国は自己矛盾には目をつぶりました。
そして今、我が国は、そこそこ強い国として、北東アジアの最前線に立っています。
つらつら考えてみるに、我が国の戦後の歩みは、状況に応じて法解釈を変更しながら、現実社会に適応しようという、思考の実験だったように思います。
それは時に強引というか無理目なこともありましたが、どうにか、現実の世界で生きていくための工夫であったに違いありません。
一部左翼過激派や左派系ジャーナリズムが騒いだりしましたが、そんな連中の言い分が多数派を占めることはなく、概ねリアリズムを良しとする保守政権が続きましたね。
これは日本国民が健全な民主主義国家を選択してきたということで、聡明な国民性だと思います。
時あたかもベルリンの壁崩壊から四半世紀。
当時私は大学生で、あまりの変化の速さに目を見張ったものです。
あの事件は、共産主義に対する自由民主主義の正義でした。
我が国はそこそこ強い国として、米国とともに中国やロシアと対抗していかなければならないのでしょうね。
パワーゲームは半永久的に続くんでしょうか。
恒久平和は永久機械のように、絶対に達成できない、しかしどうしてもたどり着きたい理想の境地であるかのごとくです。
私に出来ることは何もありませんが、不可能と知りつつ、恒久平和の実現を望まずにはいられません。