今日は節分。
「鬼は外、福は内」と叫びながら豆をまき、年の数だけ豆を食い、これからの健康を願い、併せて幸多い年であることを祈る行事です。
私は子供のころ、親と一緒に庭に向かって「鬼はー、そとー」と叫び、家内に向かっては「福はーうちー」と言いながら豆をまきました。
今となっては楽しい思い出です。
しかし、元来がひねくれ者の私。
高校生になると、この地球に共存する存在としての鬼は、必ずしも追い払うべき存在ではないし、寒空に追い出すのはかわいそうだと思い、「福はー、うちー、鬼もー、うちー」という掛け声のもと、家の中だけに豆をまくことにしました。
成田山新勝寺でも、「福は内」は唱えても「鬼は外」は唱えないと聞きます。
新勝寺のご本尊のありがたい慈悲により、鬼はたちどころに回心してしまうため、「鬼は外」は必要ないとのことでした。
私の流儀はそれとは異なります。
鬼であれ妖怪であれ、異形の存在といえど、地球上の生き物ですから、人間とうまくやっていくことができるに違いない、という予感を持つに至ったからです。
古来、鬼や妖怪は、大和朝廷にまつろわぬ人々の蔑称とする説が根強くあります。
それならば、虐げられた鬼や妖怪を暖かく迎えることが、あるいはそのような精神を持つことが広い意味での世界平和につながるのではないかと思います。
要は敵や邪悪な存在を設定しないことです。
「話せばわかる」ということです。
邪悪なテロリストが横行する今だからこそ、被差別民であったと思われる鬼を、福といっしょに迎えたいと思っています。