低気圧の関係でしょうか。
なんとなくだるいですねぇ。
困ったものです。
精神障害者には、悪天候になると起き上がれないという人が多くいます。
私の場合、起き上がれないというほどのことはありませんが、なんとなくだるく、眠いのを常とします。
で、まさに今日がそういう日です。
それでもとりあえず出勤は出来ているので、だましだまし一日をやり過ごすほかありません。
それにしても精神の障害というのは難しいものです。
内臓の病気のように、血液検査などで、どこがどれだけ悪いかといったことを調べることができません。
精神科医に話をして、精神科医は話の内容、口調、表情などから、おそらくこんな病気で、これくらい重いだろう、と判断して薬を処方するわけです。
なんとなくもやもやしますね。
また、患者が正直に状態を話さなければ適切な治療ができませんから、落ち込みが激しかったり、逆に上がりすぎている場合、うまく状態を話すことが難しいでしょう。
病的な心の闇を抱えている場合、治療が必要ですが、健常者といえども、何らかの闇を心の奥深くに抱えているものです。
その闇は、人間を人間たらしめている物ともいうべきで、闇がなければ人間じゃないとすれば、人というもの、よほど因業に生まれついているようです。
これを根本的に解決する、しかも万人に有効な方法は存在し得ません。
だからこそ闇なのでしょう。
文学や芸術は、自然の美を人工的に写し取ることと、心の闇を抉り出すことが、大きな2つのテーマだと思います。
もちろん、人工美を作り出しつつ、それによって心の闇をあぶりだすという手法も多くみられます。
ただしそれは、提示するだけで、解決策を探るものではありません。
人は誰も、それぞれの方法で、心の闇を克服するか、それが無理なら共生していくための魂の漂流を、生涯、続けなければならないようで、それは大層面倒くさいことですが、それこそが生きるということの本質であるような気がします。
草食獣であれば肉食獣に捕食されるかもしれないという恐怖、肉食獣であれば獲物が得られないのではないかという不安を抱えていることでしょう。
人間はもう少し複雑に出来ていると思いますが、恐怖や不安を抱えたまま生きるという意味で、動物と変わりません。
これを救おうと宗教や哲学が誕生したものと推測しますが、成功した宗教や哲学を私は知りません。
であるならば、人はみな、自分だけの宗教、自分だけの哲学を持ち、己は己独りの力で救うしか、方法は無いように思います。
それが思想信条と呼ばれるものなのでしょう。
人はこの困難な闇を克服するか、それが無理なら共存して生きていかなければなりません。
きついことを言うようですが、私はそう思っています。
ではお前はどうやって闇に対処しているのかと問われれば、精神病薬と、わが国の伝統的な文化に拠っているとしか言いようがありません。
時の審判を経て生き残った古典などの伝統文化は、闇に対処するための示唆に富んでいるような気がします。