40代も半ばとなると、色々体にガタが出るようです。
最近、新聞を読むときなど、メガネをはずして新聞を顔に近づけるほうが読みやすくなりました。
我ながら爺くさい姿だと思います。
疲れやすいのは昔からですが、それでも20代の頃は、仕事帰りに一駅歩いたり、水泳に行ったりしていたものですが、今は車でまっすぐ帰ることを常としています。
で、帰宅すると酒を飲むので、肝臓の数値が悪化してきて、医者から節酒を勧められています。
ただ、医者が言うには、このままのペースで飲み続けると20年後に肝硬変になる怖れがあるそうなのですが、20年後と言われると、あまりに遠すぎて、なかなか節酒も出来ません。
20年の間に良い治療法が見つかるかもしれませんし。
それと、もう15年も前に緑内障の初期症状がみられるとかで、まだ治療を始める段階ではないが、必ず半年に一度視野検査を受けるように言われ、まじめに受けていますが、今も初期症状のままです。
仕事をするうえで一番困るのは、疲れやすいことと、堪え性が無くなったこと。
単純作業を長く続けることが苦痛です。
手も遅くなりましたし。
単純作業なんてそう多くはありませんが、なんとなく面倒くさいですねぇ。
面倒くさいことをするから給料が貰えるというのは事実ですが、それにしてもイライラします。
精神障害は自覚的には完治したと思っていますが、しんどい状態が普通になっただけで、何もバラ色の生活が待っているわけではないことを痛感しています。
症状がきついときには、これさえ良くなれば何もかもがうまくいくと思い込んでいましたが、そんなはずありませんよね。
病的な悩みが、普通の悩みに変わっただけです。
肉体的な大病を患ったことが無いのは有難いことだと思っています。
しかしこれから、体力は落ちていく一方なのでしょうね。
明日は今日より一日老いており、明後日は二日、一年後には一年分老いているはずで、そう考えると、過去を無視すれば今が一番若いことになります。
山田風太郎が、老いるということは昨日出来たことが今日出来ないのではなく、さっき出来たことが今出来ないことを日々実感することだ、と書いています。
さすがにまだそういう境地は理解出来ませんが、長生きすればいずれそれが理解出来るようになるんでしょうね。
空恐ろしくすら感じます。
そう考えると、40代で進化を続けるレジェンドと呼ばれる葛西選手や、50歳で現役ピッチャーの山本投手などは、奇跡の肉体の持ち主と言えるでしょう。
いくら節制して体を鍛えても、常人には為し得ない偉業でしょう。
しかし私は、なんとなく面白がってもいるのです。
なるほど、諸先輩方はこうして肉体の衰えを経験してきたのだな、今自分がその入り口に立っているのだな、これからどんな風に衰えるのか、観察してやろう、と。
そんな風に思えるということは、まだ衰えは序の口ということでしょうか。