夫婦と幼い男の子の3人家族。
ある時夫が事故で急死してしまいます。
葬儀の時、妻は焼香にやってきた夫の同僚に一目惚れ。
数日後、妻は愛しい我が子を殺害してしまいます。
なんでか。
一般的な回答は、再婚することになった時息子が邪魔になるから、というもの。
しかし、宮崎勤とか酒鬼薔薇聖斗、麻原尊師などの凶悪犯罪者は、別の回答をしています。
すなわち、息子の葬式の際、もう一度その男と会えるから、というもの。
まぁ、江戸で火事が起きた時お寺に逃げ込んでそこの若い修行僧に惚れてしまい、また会いたい一心で付け火をしたと言われる八百屋お七と同じですね。
ちなみにお七は火あぶりに処せられています。
付け火をしたから火あぶりとは、単純というかなんというか。
上の話は実話ではなく心理テストです。
どういう回答をするかで、その人の犯罪への志向性が分ると言います。
怖ろしいですねぇ。
幸い、私は平凡に、再婚の際邪魔になるからだろうと思いました。
息子の葬式でもう一度会えるから、と考えた人は行動に気を付けたほうがよろしいようです。
三人の異なる犯罪者が同じ回答をしているところを見ると、明らかにそういう傾向がある人の思考パターンだと言えるんじゃないでしょうか。
20世紀初頭にドイツでワグナー事件という大量殺人事件が発生しました。
異常なまでにプライドの高い教師であったワグナーは妻と4人の子供を殺害した後、勤めていた学校がある村に向かい、放火を繰り返した後、火から逃げる人々を次々に射殺。
9名を殺害し、12名に重傷を負わせたそうです。
その動機というのが、村で獣姦行為をしたことがあり、村人たちが自分を嘲笑していると思い込んだ、とのこと。
その後の調べでワグナーの獣姦行為を知っていた者はいなかったことが判明しています。
子らを殺したのは、事件後、殺人鬼の家族として生きていくのが不憫だったからだそうです。
彼は責任能力なしということで無罪になっています。
その代り療養所に入れられ、生涯、そこで戯曲を書いたりして過ごしています。
この例などは、いわゆる快楽殺人と比較して、まだ分りやすいほうかもしれません。
やったことは極端ですが、自意識過剰の教師であれば、おのれの恥ずべき行為を嘲笑されていると思うのは耐え難かったでしょうから。
先般、13歳の少年の全裸遺体が見つかりました。
その主犯格とみられる18歳の少年が殺害を認める供述を始めたそうです。
なんでも自分が暴行して大けがを負わせた後、被害者と仲が良い別のグループが謝罪を求めて押しかけてきたことを逆恨みし、川原に呼び出して全裸になるよう命じ、寒空のなか川で泳がせた後、首をナイフで刺して殺害したとか。
石川五右衛門は、石川や 浜の真砂は 尽くるとも 世に盗人の 種は尽くまじ、という辞世を残したと伝えられます。
盗人の種が尽きないのと同様、殺人犯の種も尽きることはないようです。
私たちは、世に盗人や殺人犯、その他諸々の犯罪者がいなくなることは無いのだということを、よくよく肝に銘じる必要があるように思います。
少年犯罪の場合特に、教育や社会矛盾の解消などによってそれが未然に防げるかのごとき言説を弄する評論家などを時折見かけます。
私は、これは欺瞞であり、人間性に対する理解の欠如であろうと思っています。
どんな理想郷が現出しようと、いくら素晴らしい教育が行われようと、いや、むしろそうであればこそ、凶悪な犯罪は行われるに違いないと思っています。
そうであってみれば、防犯は主に警察力などの国家権力に頼る他ないと、絶望とともに思い知るのです。