日本民族の核

社会・政治

 一昨日の土曜日、千葉市中心部を散歩していたら、デモにぶち当たりました。

 「9条壊すな」とか、「戦争させない」、「若者を戦場に送るな」とかいう横断幕を持ち、奇声を発していて、騒々しいことこの上ありませんでした。

 ニュースでは、昨日と一昨日、全国各地で同様のデモが行われたようです。
 おそらくは安倍政権が進める安保法制と関係があるのでしょう。

 デモ参加者は一見して年配の方が多く、おそらくは団塊の世代が多数を占めているものと思われました。

 あの世代は若い頃学生運動で遊び、中年に至ってバブルで踊り、定年を迎えてしばらく経ったところで、先祖返りを起こしたように見受けられます。
 よほど学生運動が楽しかったと見えて、あの夢をもう一度、というわけでしょうか。

 冷静に考えて、あのようなデモは何の役にも立たないどころか、一般庶民がそういった運動から遠ざかるような、逆効果しか生まないものと思います。

 「戦争させない」と言いますが、もちろん侵略戦争はいけませんが、攻撃されたら応戦せざるを得ません。
 応戦する以上、敗れるわけにはいきません。
 敗れるわけにはいかない以上、いざという時のために軍事力を整備しておく必要があります。
 もちろん、法整備も。

 それが国家の義務です。
 国民が殺されていくのを黙ってみている政府など、信用できません。

 おそらく能天気に極端な理屈を振りかざしてデモを行っている人々は、思考停止の状態に陥り、冷静に物事が見られなくなっているものと推測します。

 わが国からそういう人はほぼ駆逐されたと思っていましたが、まだしぶとく生息していたのですねぇ。
 なんだか懐かしいような気分になりました。

 70年前の敗戦ショックはまだ尾を引いているようです。
 日本人にとってはあまりにも衝撃的な敗戦だったのでしょうね。

 でも私は悲観していません。
 日本人は変化に適応するのがうまいだけだったのだと思います。

 古くは仏教の受容、近くは明治維新と近代化、そして戦後の反核平和教の大流行と、軍事力に代わる経済力での戦い。
 時代の要請に応じて、わが民族は変幻自在に変わってきました。

 しかし、民族の核とでも呼ぶべきものは、2,000年前から何も変わってはいないと思います。

 多くのアジアの人々が白人に支配され、白人にはとても敵わないのだと思い込んでいたのに対し、わが国は、白人にできて日本人にできないことがあるかとばかり、遮二無二近代化を推し進め、ついには白人お金持ちクラブの仲間入りを果たしました。
 当時の列強と、現在のG7はほぼ同じ国々で構成されています。
 そして相も変わらず、有色人種が大半を占める国は日本しかありません。

 日本民族の核は、限りなく高い誇りと自信、それに伴う努力を惜しまない精神性、そして変化に強いことにあろうかと思います。

 それは今も変わっていません。
 おそらく呑気にデモをやっていた人々も、一朝ことあれば簡単にいけいけどんどんにかわるものと予想します。
 ああいう人々は信念からというより、遊びでやっている者が大半でしょうから。 

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