日本的保守政治家

社会・政治

 今朝の新聞で、枝野民主党幹事長のインタビュー記事が目に留まりました。
 そこで枝野氏は、自身を日本的保守政治家と規定し、安倍総理はそうではない、と評していました。 

 日本的保守政治家とは聞き慣れない言葉ですが、枝野氏によれば、八百万の神々を崇め、村落共同体を中心に発展してきたわが国では、多様な価値観を認め、互いに尊重し合うという美風があり、その上に立脚した保守政治家、ということのようです。
 そしてそれはヨーロッパでいうところの社会民主主義に近いとか。

 一方安倍総理は、米国流のキリスト教的な価値観で生きており、多分に唯我独尊的で、自分と異なる考えの人々を基本的に認めない政治家だと述べています。 

 労働組合に支えられている政治家にしてはなかなかユニークな物言いだと、感心しました。

 枝野氏本人が日本的価値観に支えられているかどうかはともかく、わが国の人々の精神性をよく言い表しているように思います。

 日本人は唯一絶対の神様なんて馬鹿馬鹿しくて相手にしません。
 まして神様との契約なんて、開いた口がふさがらないくらい、理解不能です。
 ほとんど無数の神様がいて、それは山や岩や巨木に宿るのみならず、狐などの動物、天神様のような怨みを残して亡くなった人物なども神様になります。
 勃起した男性生殖器を模った金精様などのような、ユニークというかあからさまな神様も存在します。 

 余談ですが、あるテレビ番組で、井戸の横に巨大な金精様が建てられているのが紹介され、地元のおじいさんとタレントのやり取りが面白かったですねぇ。 
 
「井戸の神様は女だからよぉ、金精様を建ててんだよ」

「はぁ?」
「金精様が横にあれば涸れねぇだろ、ていうか、溢れるだろ」
「涸れたことあるんですか?」
「ねぇなぁ」 

 神様という同じ言葉を使うのが憚られるような、一神教での神概念と多神教でのそれとの違いを感じます。 

 そう考えると、枝野氏の過去の矛盾も大したことが無いように思います。
「与党がこんなに大変だとは思わなかった、うかつに政治主導なんて言わなければ良かった」とか、先の衆議院解散の前には、「今解散してくれればありがたい」みたいなことを言っておきながら、実際に解散すると、「無責任な解散だ」とかみついてみたり。 

 これは枝野氏にとって、失言とか放言ではなく、日本的正直(あるいは馬鹿正直)さの表れなんでしょうね。
 それは時に人間的魅力に見えるかもしれませんが、政治家は選挙で選ばれた選良で、しかも国民の権利を制限できる権力を握っているわけですから、日本的おおらかさもほどほどにしてもらわないと困ります。 

 ご本人曰く、東京オリンピックは民主党政権で開催したいそうですが、それはいかにも無理筋です。

 国民は3年間の悪夢のような民主党政権時代を忘れてはいませんし、いかに忘れっぽい日本人といえど、まだ5年くらいは鮮明に覚えていると思いますがねぇ。

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