奇跡的な僥倖

社会・政治

 今日は東京大空襲があった日ですね。

 私の義理の祖母、つまり同居人の母の母親が東京大空襲で亡くなっています。
 ために義理の母は姉と一緒に祖母を母代りとして育てられたそうです。
 義理の伯母、つまり義母の姉は、今も東京大空襲の慰霊祭に欠かさず出席しています。

 当時本所に住んでいた義母、その時の印象が強烈なせいか、どんな田舎に住んでも構わないが、東京の下町にだけは住みたくない、と言っています。
 よほど辛かったのでしょうねぇ。

 私の実母は命は助かったものの、長崎で被爆しています。

 東京大空襲にあった義母と原爆の被害にあった実母。

 私にとっては生まれる前のはるかな過去である惨劇が、この世代以上の人にとっては、まさに生々しい実体験としてあるのでしょうねぇ。

 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争などなど、間断なく戦争を続けてきた米国などとと違い、わが国は戦後、戦火に見舞われることはありませんでした。
 それは奇跡的な僥倖と言ってもよいでしょう。

 それはいくつもの偶然が重なった結果であって、決して紙に「国権の発動たる戦争を禁じる」と書いたからではありますまい。
 紙に書いたことなど、苛烈な現実を前にすれば、簡単に吹っ飛んでしまいます。

 ごく単純に言えば、国防安保に関しては、米国に、下駄の雪のようにどこまでもついていくという政策が奏功したものと思われます。

 普通に考えれば、国内に外国の軍隊が何十年も駐留し、わが国の安保政策の基本にあったとは、屈辱的ともいうべき事態ですが、結果的にはわが国に平和をもたらしたわけで、そんなものは奴隷の平和だと言ってしまえばそれまでですが、殺し合いをやるよりはずいぶんマシなのではないでしょうか。

 それに、わが国に存在する外国の軍隊、いざとなったら人質にとれるかもしれませんし。
 もっともそんな状態になったら、第二次太平洋戦争の勃発は必至ですから、そんなことは出来ようはずもありませんが。
 でも思考の遊びと思えば、それもまた面白いように思います。

 わが国が軍事的な面でも真なる独立を果たしつつ、しかもなお、平和を維持できる日を夢想せざるを得ません。


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