人間以上

思想・学問

  五千円札で知られる新渡戸稲造。
 彼がクリスチャンであったことは有名ですが、神秘主義的な側面を強く持っていたことはあまり知られていないのではないでしょうか。

 彼がキリスト教に入信したころ、神というものをどう捉えればよいのか悩んだと伝えられますが、神の存在と霊魂の不滅であるが、この事は唯信ずべきものにして、二十年考えても、二千年考えても、解することのできぬものである」というキリスト教神秘主義の言葉に出会い、悩みは氷解したそうです。

 イワシの頭も信心から、と言いますから、信じるほかない、と達観したんでしょうかねぇ。

 また、彼はキリスト教神秘主義と東洋思想との一致を見出し「必ずしも神と限るものではない。仏教の世尊でも、阿弥陀でもよい、神道の八百万の神でも差支えない。(中略)ただ人間以上のものがある。そのあるものと関係を結ぶことを考えれば、それでよいのである」と述べています。

 そして彼は、亡くなった祖父の伝言を仲介者と称する巫女から聞いたり、交霊会に出たりして、神秘主義的な傾向を強めていきます。
 ついには、神の証としての光・声・言葉を見たり聞いたりすることが出来たと言います。

 後には、小宇宙(人間)と大宇宙(神)と一体化することができる、と説いています。

 とかく教育者として、また国際連盟次長として、あるいは英語で書かれた「武士道」の著者としての活躍が喧伝されますが、新渡戸稲造という人の心中深くには、上のような神秘主義的考えがあったと思いをはせることには、意義があると思います。

武士道 (岩波文庫 青118-1)
矢内原忠雄訳,矢内原 忠雄
岩波書店

 神秘思想というのは、なぜか教育者と相性が良いようで、ルドルフ・シュタイナーなども、神秘思想家としての側面よりも、教育者として知られていますね。

神秘学概論 (ちくま学芸文庫)
Rudolf Steiner,高橋 巖
筑摩書房

 

子どもの教育 (シュタイナーコレクション)
Rudolf Steiner,高橋 巌
筑摩書房

   私自身は、神秘主義思想に魅かれながら、神秘体験はありません。

 私はクリスチャンではありませんので、神との合一を求めることはありません。

 しかし、新渡戸稲造も、神でも世尊でも阿弥陀でも八百万の神々でもよいと言っているわけですし、何か偉大なもの、別に名前なんてどうでもよいので、その偉大な存在を直観できればと、強く願います。