昨日はふと思い立って、靖国神社に参拝しました。
車を神保町のコインパークにとめ、まずは昼飯。
神保町界隈はカレー屋の激戦区と聞いたので、神田カレー選手権で殿堂入りしたというお店に行き、チーズカレーを食しました。
不味くはありませんが、殿堂入りするほどの味とも思えませんでした。
その後九段坂を登って靖国神社へ。
もう的屋の姿もなく、正月らしさは感じられませんでした。
現在、わが国が平和であるのは、尊い英霊の犠牲があってこそ。
1年に1度くらい、お参りすることは意義深いと思います。
A級戦犯が合祀されているとかなんとか野暮なことは言いっこなしです。
さすがに広い神社です。
三島由紀夫は「英霊の聲」で、昭和陛下の人間宣言を受けて、特攻隊や二.二六事件の英霊たちが、依代を介し、声をそろえて、
などてすめろぎは人となり給ひし、
などてすめろぎは人となり給ひし、
と、呪文のように怨嗟の声を繰り返す様を描き出しました。
民主化も農地解放も大変結構、しかし、英霊にとって、すめろぎ=天皇が人であっては、自分たちが命を落とした意義が消失する、と三島由紀夫は考えたのでしょう。
ああいう最後を遂げた作家らしいですね。
![]() | 英霊の聲 オリジナル版 (河出文庫) |
三島 由紀夫 | |
河出書房新社 |
ただのおっさんでしか無い生身の天皇陛下が神などであるはずがないのに。
ただ、生身の人間でしかないことを百も承知で、すめろぎ(天皇)は神である、という幻想のうえに、自らの価値観を置いたということでしょうね。
哀れな話です。
しかし、英霊たちが、天皇陛下が人間宣言をしようがしまいが、国家防衛のために命を落としたことは厳然たる事実。
今を生きる私たちは、そのことに思いを致さなければなりません。
第一、日本人が日本人の犠牲者を悼まなくて、誰が彼らに感謝するというのでしょう。
不幸にも靖国神社という存在は、政治的に難しい側面を持っています。
私はそれはそれとして、純粋に、敵味方双方の犠牲者を、供養したいと思うのです。