8月9日

社会・政治

  暑い日が続いています。
 熱中症による死者も多数出ています。

 こんな暑いなか、74年前の今日、長崎に原爆が落とされたのですねぇ。

 私は母が長崎で被爆した被爆二世。
 それだけに感慨深いものがあります。

 と言っても、母も私もいたって健康で、原爆の後遺症らしきものはありません。

 母親、放射能に強い質だったのでしょうか。

 毎年慰霊が行われていますが、遠くない将来、被爆者は完全にいなくなるでしょう。
 人間には寿命というものがありますから。

 それでも、慰霊は続くでしょう。

 パリ祭では、今もフランス革命を支持しない元貴族の子孫などが、喪服を着ると言いますし。

 そして少しづつ、慰霊の日はお祭りの日に変わっていくのだろうと思います。

 お祭りになってしまうほど人々の記憶から原爆が薄れなければ、核兵器廃絶は無いように思います。

 慰霊を続けるということは世界中に原爆の恐ろしさ=強さを宣伝し続けることになります。

 強い効果が期待される兵器であればこそ、世界の核保有国はこれを減らすばかりか、増やそうとするでしょうし、保有していない国は、核兵器クラブの一員になりたいと願うでしょう。

 わが国もかつて、佐藤栄作首相の時に、本気で核保有を目指したと伝えられます。

 国民としてはそのくらいの気概のある政府のほうが頼もしいですが、本当に保有する必要はないでしょう。
 いつでも開発できる、というカードをちらつかせるだけで十分です。
 所詮は使えない兵器ですし。

 いつの日か世界の人々が原爆投下を単なる歴史的事実としてのみ認識し、核兵器廃絶を訴える必要が無い状態が実現することを願っています。

 もっとも、そのころには、核兵器以上に怖ろしい兵器が開発されているのでしょうけれど。