今日は憲法記念日。
わが国自慢の平和憲法制定を寿ぐ日です。
米国製の憲法で、なぜか何十年にも渡って改正がなされず、すっかり時代遅れの遺物と化してしまいました。
永井荷風は憲法発布の日、米国の作りたる憲法発布のよし、嗤うべし、と、短くその日のことを書いています。
この憲法の問題点は、解釈の変更を重ねて、少なくとも9条については、有名無実化してしまったこと。
当初は一切の武装を否定していたのが、警察予備隊、保安隊、自衛隊と名前を変えながら軍隊を整備し、重武装をなし遂げてしまいました。
もう自衛隊なんていう嘘くさい名前は止めて、堂々と日本陸軍・海軍・空軍を名乗ったほうが、実状に合っているような気がします。
通常兵器に限って言えば、我が国は世界有数の軍事大国です。
核武装こそしていないことになっていますが、もしかしたら密かに核兵器を保有しているかもしれません。
実状に合っていない憲法を護持し、嘘の上塗りを重ねた憲法を後生大事に守り続けることは、日本人の倫理観を破壊する作用が働いている気がします。
国家の最高法規が実状に即していないのでは、我が国は法治国家たるの資格を失ってしまい、なんだかもやもやします。
かつて、我が国では、多くの国民が憲法改正に反対していましたが、今となっては憲法改正を支持する人のほうが護憲派よりも多くなりました。
憲法の嘘というか、矛盾というか、そういうものが噴き出してきたのでしょうね。
ことは9条に限らず、1条の天皇条項、憲法改正の手続きを定めた条項なども時代錯誤な代物になってしまいました。
両院の三分の二以上の議員が発議し、国民投票を経なければ憲法改正はなりません。
事実上、改正は出来ない仕組みになっています。
しかし、最近の憲法に対する国民の意識の変化は、憲法改正が成るのではないかという予感を感じさせます。
かつて養老律令という法律がありました。
西暦757年に制定された法律で、平安時代には形骸化してしまい、ほとんど省みられないまま、明治維新まで国の最高法規ということになっていました。
日本国憲法、そうなるような気がしてなりません。
そうなる前に、時代に合ったものに改正し、また、改正の要件を緩和し、時代の変化に柔軟に対応できるものにしなければならないと強く思います。