終戦もしくは敗戦

社会・政治

 今日で5日間の休みも終わり。
 少し、落ちています。

 今日は終戦記念日もしくは敗戦記念日。
 76年前のこの日、大日本帝國は敗戦の憂き目にあいました。

 誠に悔しい日、屈辱を忘れず、必ずや復興してみせると、新たな気概に燃える者も多かったでしょうが、平和教に転向した愚か者も数多くいました。
 特に国防婦人会などで頑張っていた女性ほど、時代の流行りにあわせて、突如として平和を言い立てる姿は醜かったと、戦争協力を断固拒んだ文化人たちの多くは、簡単にお宗旨替えをした人たちを嫌いました。
 戦争協力を拒んだ多くの文化人たちを昨日まで非国民と呼んでいたのが、一夜にして戦争反対を貫いた信念の人、などと同じ人物が言うのですから気色悪いというものです。

 多くの文化人が戦争協力を反省する声明を発表するなか、小林秀雄は、「私は馬鹿だから反省などしない」と一言だけ
残しています。

 総力戦を戦う以上、どこの国でも自国の勝利を信じて突き進むのは当然のことです。
 より多く殺し、より多く破壊した国が勝つのですから。

 平和教はおかしげな宗教のごとく、わが国を蝕み、一時は非武装中立なとという、実現不可能な夢をおいかける政党もありました。
 さすがに今はやや理性的になったのか、そういう人はごくわずかになりました。

 私は平和教に毒されることはありませんでした。
 それよりも、外国相手に負けたことのなかったわが国が敗れたことは、誠に残念に思います。

 米英相手に総力戦をしかけても勝てないことぐらい、時の政治家や官僚、軍人は分かっていたと思うのですが、米英の苛烈な要求に耐えられなかったのでしょうね。
 それにわが国が屈辱的な要求を飲んだとしても、米国は太平洋をわが物にせんと決意していたわけで、太平洋で最も邪魔で、敵対する大日本帝國を完膚なきまでに叩き潰すことを決意していたのですから、和平交渉が決裂するのは当然だったと言えましょう。

 そしてそれは成功し、わが国が独立を果たしてなお、軍事的には支配し続けるという、恥知らずな行為にでて、それは今も続いています。
 だらしないことにわが国もそれを仕方ないこととして、受け入れています。

 私は夢想します。
 わが国が真の独立を果たすことを。
 米軍が完全に日本から撤退し、わが国は自存自衛の国となることを。
 そして誰にも手が出せないほどの強力な軍隊を持ち、誰も手がだせないゆえに平和が続くことを。


 書生論と笑われそうですが、それでもかまいません。
 理想を失ったら、人間は誠実に生きることがなくなるのですから。