100歳

社会・政治

 人生100年時代という言葉を耳にします。
 そこまではいかないだろうと思っていました。
 
 しかし、総務省の調査によると、2050年には100歳以上の人口は50万人以上になるそうです。

 2050年というと、生きていれば私は81歳。
 そこからさらに20年もあるとは信じられないことです。
 元気な100歳なら嬉しいかもしれませんが、満身創痍みたいになって、やっと生きているなんていう状態になるなら、適当なところでお迎えが来てもらったほうが良いように思います。

 人生100年時代は、当然、少子高齢化の結果として現れます。
 現役世代が減少し、ご隠居が増えるわけですから、年金は減少し、長く生きる分貯金も底をつき、生きるに生きられない、ということも有り得ると思います。

 で、簡単な解決方法は、老人にも働いてもらうということ。
 現在、60歳が定年で、65歳まで再雇用、という組織が多いと思います。

 これを5年なり10年なり伸ばせば、少子高齢化による問題の多くが解決できる、と総務省は考えているようです。

 しかしこれは、なぜ定年退職というものが存在するのかを考えない、いわば机上の空論とでも言うべきものです。
年を取ると体力が落ち、病気にもなりやすくなり、記憶力等が低下し、気力もなくなり、使い物にならなくなる可能性が高いので、そうなる前に引退していただく、というのがその趣旨であろうかと思います。

 もちろん、ポストを譲ることも含め、後進に道を譲るという意味もありましょう。

 高齢にいたってなお働くというのは高齢者本人にも辛いだろうし、現役世代だって、迷惑に感じるのではないでしょうか。

 現在52歳で現役世代の私ですら、左目がほとんど見えなくなったり、高血圧になったり、高脂血症になったりしています。

 疲れやすくなり、残業がほとんど出来なくなりました。

 正直、現在の定年である60歳まで持つのかどうかも心配です。
 しかも60歳はゴールではありません。

 おそらく私が60歳を迎える頃には、定年は65歳になっているのではないでしょうか。

 懲役38年だと思っていたのが、懲役43年になってしまうなんて、ひどい話です。

 真面目に働いた結果が刑期延長とは。

 ただし、サラーマンという懲役は、自らの意志でいつでも出所できます。
 出所した途端、生活が破綻するという事実を受け入れれば。

 生活の破綻を免れるために、多くのサラリーマンは刑期を終えるまで、お勤めを辞めようとしません。

 昨年度、58歳の先輩が早期退職しました。
 早期退職すると、退職金に色を付けてくれます。
 それで早期退職に応募して認められたわけですが、思い切ったことをしたものだと感じます。

 少々退職金を上乗せされたところで高が知れています。
 なんでも完全引退して、今後一切働かないそうです。
 うらやましい話です。

 宝くじにでも当ったのでしょうか。

 そうかと思うと、管理職が定年を迎え、再雇用を希望して、収入は半減し、役職をすべて失って新聞の切り抜きくらいしかやることがない、という状態も、楽と言えば楽ですが、居心地は悪そうです。

 結局私が望んでいるのは、一秒でも早く楽隠居したいということ。
 生活費の心配が無ければいつでも隠居できますが、そこはうまくいきません。

 人間なんて勝手なもので、少子高齢化がどのような顛末を迎えようと、私一人が被害を被らなければ、どうでもよいというのが偽らざる心境です。