ヴィオロンのためいき

文学

 来週の日曜日、出勤命令が出たため、今日は振替でお休み。
 ここのところ、しょっちゅう休んでいるような気がします。
 それだけに、明日からの出勤が憂鬱です。

 今日はとくだん何もせず、だからこそ頭がぼうっとして、珈琲を5杯も飲みました。
 それでも、頭が重い感じは抜けません。

 なんとなく、憂鬱な秋の日です。

  秋の日の ヴィオロンの ためいきの 身にしみて ひたぶるに うら悲し。
  鐘のおとに 胸ふたぎ 色かへて 涙ぐむ 過ぎし日の おもひでや。
 げにわれは うらぶれて こゝかしこ さだめなく とび散らふ 落葉かな。

 「海潮音」に見られるヴェルレーヌの詩です。
 わが国ではこの詩がヴェルレーヌのなかでも最も有名なのではないでしょうか。 

 私は真面目な木っ端役人。
 うらぶれているわけではないでしょうが、とび散らふ 落ち葉であるような気がします。

 春愁秋思なんていう言葉があります。
 春の憂い、秋の物思いをあらわした漢詩の一節ですが、誰の詩か忘れました。

 本来過ごしやすいはずの春や秋にメランコリーを感じるのはなぜでしょうね。
 あるいは過ごしやすいからこそ、心に余裕が生まれて、その余裕が、人を憂愁に沈めるのかもしれません。

 何もしない、あるいはできない秋の一日、ただ物思いに耽るばかりです。