儚い

その他

 年末は忙しいですね。

 今日は午前中、同居人の実家に行って、掃除というか片づけをしました。
 義母が施設に入って誰も住まなくなった家は、どこか殺伐としています。
 また、老人の独り暮らしだったがゆえ、おそらく片づけるのが億劫になったんでしょう、ゴミ屋敷とまでは言いませんが、あちらこちらに物が散乱していて、どうすれば良いのか分からず、しばし呆然としました。
 締め切っているので、変な匂いが漂っています。
 まずは家中の窓を開けて換気し、片づけるというよりは、物を一室に集めるような作業をしました。
 どうにかリビングで小宴を開けるかな、というくらいにするまで、3時間はかかりました。
 元旦は自宅で昼にお餅が食べたいという義母の願いをかなえるためです。

 昼は牡蠣のクリームパスタなるものを食し、買い出しへ。
 今日の夕飯の食材やお飾り、鏡餅を購入しました。
 さらにマスクを大量購入し、万が一のために抗原検査キットと解熱鎮痛剤を買いました。
 それだけで、かなり疲労してしまいました。
 体力が落ちていると実感します。

 やっと一通りの仕事が終わって夕方帰宅すると、義母から電話。
 やっぱり悪いから正月は施設で過ごす、とのこと。
 拍子抜けとはこのことです。
 同居人がおせちもお餅も準備し、家も片づけたと言うと、しぶしぶのように、じゃあ帰る、とか。

 この我儘は持って生まれたものでしょうか。

 来年84歳になる義母。
 私がその年まで生きられるかどうか分かりませんが、その年になって初めて気持ちが分かるのかもしれません。

 孝行のしたい時には親はなし、とか言います。
 それは私たちには当てはまらないようです。

 とにかく義母の希望を叶えるしかないのですが、その希望が二転三転するのがかないません。

 老いるということをまざまざと見せつける義母の行いを見るにつけ、人間の一生の儚さを嘆く他ありません。

 今この時代をともに生きている人々、150年後には誰も生きてはいないでしょう。
 だからこそ、老人も子供も、同時代を生きる同志として、全ての人が愛おしく感じます。

 人間は生まれた時から一直線に死に向かっていく運命を持っています。
 いわば全員死刑囚。
 そのことを実感すれば、ウクライナで起きているような愚行は犯せないと思うのですが。