今日は私の誕生日。
55歳になりました。
ひと昔前なら定年退職する年齢です。
この年まで大病せずに生きてこられたことに感謝しなければなりません。
近頃同世代の友人や同僚が病死することが増えてきましたから。
だからというわけではないですが、上野千鶴子という有名なフェミニストの闘士の手に依る「おひとりさま様の老後」という本を読みました。
思い込みが激しく、なんとなくいけ好かないと思いながら、なんとなく読んでしまいました。
結婚していようが独身だろうが、子供がいようがいまいが、結局人は一人で死んでいきますから
日々憂鬱な仕事にいそしんでいるわけですから、今日くらいはということで、同居人と二人、特に予定は無かったのですが、休暇を取りました。
雨模様でもあり、近所のイタリア料理店に出かけた以外、家でのんびりと過ごしました。
実家の母から誕生日恒例の特大の国産高級鰻が届きました。
例年これを温め、わさび醤油で白焼きにして食べたり、タレをかけて蒲焼にして食べたりします。
有難いことです。
55歳、もっと精神的に落ち着いた大人の男になると思っていました。
しかし精神状態は精神障害を発症した約20年前と大して変わりません。
三つ子の魂百までと申します。
100歳になっても変わらないというなら、55歳なんてまだ子供のようなものでしょう。
現在の定年は60歳で、希望すれば65歳まで雇用されます。
しかし今後は少しづつ定年年齢が延長され、65歳定年になると聞きます。
実際そうなるかどうかは別にして、あと10年も体と心が持つか心配です。
もちろん、辞めたければ明日にでも辞めてしまって構わないわけですが、折角築いたそれなりの生活が破綻してしまいます。
今さら転職などできませんし、どこも雇ってくれないでしょう。
いっそ60歳を越えてからのほうが、マンションの管理人だとか、シルバー人材センターに登録するなどして、新たな仕事を見つけやすいかもしれません。
60歳まででも、まだ5年もあります。
過ぎてしまった5年はあっという間かもしれませんが、これからの5年は途方もなく長い時間に感じます。
特に6月末に私が働く部署が定員削減になり、どうしてよいか分からないくらいしんどい毎日が続いています。
このままでは15年も続いた寛解状態から精神障害が再発してしまうかもしれません。
20代の頃は、サラリーマンも50代を迎える頃には頓悟し、仕事が辛くなくなるのではないかと思っていました。
とんでもない間違いです。
年を経ればそれなりに責任が出てきて、多くの中年、初老のサラリーマンを苦しめます。
若い頃よりしんどくなる道理です。
今私は年齢ゆえのしんどさに直面しています。
誕生日といえど、目出度さも中くらいと言ったところでしょうか。