夜のピクニック

文学

 昨日は一昨日と打って変わって静かに読書をして過ごしました。
 恩田陸の「夜のピクニック」です。
 この人はミステリーやホラーの作家というイメージを漠然と持っていましたが、「夜のピクニック」はいわゆる青春小説と呼ばれる分野かと思います。

 田舎町の進学校、北高。
 ここでは1年生から3年生、全員が参加する奇祭、歩行祭が毎年行われています。
 朝8時に学校を出発し、途中で休憩や2時間の仮眠を挟んで80キロの道のりを翌朝8時までに歩き通すという過酷なものです。
 しかし、ヘトヘトになりながらも達成感があるらしく、多くの生徒は歩行祭の実施を支持しています。
 ただ歩くだけで何の事件も起こらないのですが、歩行中に生徒達の間で交わされる会話が面白く、文庫本で447ぺージの作品を一気に読んでしまいました。

 最後の学校行事である受験を控えた高校3年生の数人を主人公にした物語です。
 私はもちろん夜通し歩くなんて体験はありませんが、この小説を読んで、何となく懐かしいような、ノスタルジックな気分に浸りました。

 近くにいなければ忘れられる。忘れられればいないのと同じ。

 こんなフレーズが、続ける努力をしなければ簡単に切れてしまう友情というものの儚さを感じさせます。
 現に私も高校時代の友人で未だに付き合いがあるのは一人だけです。

 これからどれだけ「一生に一度」を繰り返していくのだろう。いったいどれだけ、二度と会うことのない人たちに会うのだろう。なんだか空恐ろしい感じがした。

 多くの二度と会うことのない人々と出会ってきた中年のおじさんには胸に刺さるフレーズです。

 あたしなんか、部活もしていなかったし、勉強もいまいちだし、何も起きない、冴えない高校生だったよ。

 というセリフ。
 私は中学・高校・大学と帰宅部で、部活動もサークル活動も経験していないし、成績も良くないし、魂の漂流を続けるだけの、冴えない青春時代をおくりました。
 多少の後悔はあるものの、それでも輝かしい時代だったと思います。

 もうすぐ終わる。歩行祭が終わる。

 という独白は、すなわち高校生活が終わることを象徴していて、それがノスタルジックに感じるのかもしれません。

 高校生達のちょっとした秘密が暴かれたりはしますが、基本的に歩くだけの、何も起きない小説が魅力的なのはなぜでしょうね。