永久機関

思想・学問


この世には存在し得ないとされる永久機関。
 本来は何のエネルギーも必要とせず、自ら永久に働き続ける機械を意味する言葉です。
 これが存在し得ないことは多くの科学者が必死になって研究を続けた結果、18世紀末には分かっていたことでした。
 その後永久機関という概念はオカルト的な意味を持つようになり、ムー大陸などと並んでいかがわしいものとされるようになりました。
 私はそういった意味の他に、私たちが働く職場を永久機関のように感じてしまいます。
 職場と言っても巨大組織に限りません。
 仕事と言ったほうがよいかもしれません。
 蕎麦屋は毎日蕎麦を打ち、野球選手は毎日白球を追い続けます。
 そして私たち事務職は今日もパソコンに向かって事務仕事を続けます。
 これを何世代にも渡って続けるのは、人というエネルギーですが、そのエネルギーが何者であるかは誰にも分からず、ただ金が欲しいのか自己実現を図りたいのか、意味も分からず働きます。
 圧倒的多数の人は生活を維持せしめるため、嫌々毎日同じようなことをしています。
 このことが、仕事を永久機関のように見せているのかもしれません。
 私は夢想します。
 これらのすべてを止めてしまいたいと。
 あるいは破壊と言っても良いかもしれません。
 人間はすべての活動を止めて死に絶え、人間のみならずあらゆる植物、動物みな死に絶え、鉱物だけが存在する世界。
 そこには静寂と清潔があるでしょう。
 私の夢想は中二病的であるかもしれません。
 しかし人間なんて、奥の奥では中二から成長なんてしないんじゃないでしょうか。
 教育を受けて職業に就き、結婚して子供をもうけ、定年退職してわずかばかりの老後を楽しんで死の苦しみに七転八倒しながら亡くなる、その営みは一見成長のように見えるかもしれません。
 いや、成長というよりは単なる変化もしくは老化のような気がします。
 中三でも中一でもなく中二というところが絶妙です。
 私の肉体も精神も55歳で、立派な初老ですが、心の奥底に、中二病的な物があることは否めません。
 この精神の僅かな幼さが、私を狂気じみた夢想に誘うのかもしれません。