1927年に中国人民解放軍が設立されたそうです。
2027年はそれからちょうど100年。
100周年を機会に台湾侵攻に及ぶのではないかとの識者の解説を聞きました。
それに備えて台湾は昨年の10倍もの規模の軍事演習を10日間にわたって繰り広げているそうです。
怖ろしいことです。
しかしその怖ろしいことは、ウクライナでもパレスチナでも起きていて、容易に終わりそうにありません。
これが極東で起きても何の不思議もありません。
中国は長いこと台湾を武力で制圧する意図を隠そうともしていませんでしたから。
その時我が国は自分のこととして台湾に援軍を送るのでしょうか。
あるいは米国は?
台湾を攻めれば北京に核弾頭を飛ばすくらいの気概が無いとやられてしまうかもしれません。
中国が本気であることは疑いようがありません。
国と国、あるいは組織と組織の対立となると、解決は簡単ではありません。
もちろん個人と個人との対立も抜き差しならないところへ行く場合もありますが、概ねサシで話し合えばどうにかなるものだし、そもそも個人同士で殺し合いをするほど関係が悪化することはあまりありません。
中国あるいは人民解放軍は台湾や我が国にとって脅威でも、中国人個々人は日本人や台湾人と同じ感情を持った人間です。
個々人同士であれば飲み友達くらいにはなれるでしょう。
それなのに国という看板をぶら下げると殺し合いに参加せざるを得なくなります。
嘆かわしいことです。
世の中には国際結婚をするカップルも多いですから、夫婦の母国同士が戦うなんていうこともたくさんあるでしょう。
夫婦とまで言わずとも恋人同士とか友人同士とか。
そういった個人的な、強い絆を築いた者同士が敵になった場合、どういう心境になり、どういう態度をとるのでしょう?
日本に住んでいる日本人と中国人の夫婦、中国に住んでいる日本人と中国人の夫婦、台湾に住んでいる日本人と中国人の夫婦、ヨーロッパなどの遠隔地に住んでいる日本人と中国人の夫婦、それぞれに環境の隔たりがあることは間違いありません。
環境の違いから隔離されたり虐殺されたりといった場合もあれば、言論の自由が認められ、反戦運動に加わることが出来る者もいるかもしれません。
私が争いごとのニュースに接するたびに思うのは、個人的な関係を築いている人々が敵味方に分かれた場合の心情です。
何のドラマでしたか、日本の田舎に疎開している日本人の夫と米国人の妻が8月15日に玉音放送を聞いて、夫は力無く「君の国が勝ったよ」と言い、それに対して妻は何も言わずに泣き崩れるというシーンがありました。
その涙は戦争が終わったことに対する安堵ゆえか、君の国、という冷たい言葉に傷ついたのか、あるいは複雑な心境が爆発したものか分かりません。
しかしそのシーンは、ドラマのタイトルも覚えていないし何年前に観たのかも分からないくらいなのに、明確に覚えています。
国同士の関係と個人同士の関係の難しさはヒトという種が持つ宿命なのかもしれません。
私にもわずかですが外国人の知り合いがいます。
彼らの国と事を構えた時、私には何も出来ることがありません。
ただ悲しむだけです。