平場の月

映画







 今日は気温がぐんぐん上がって小春日和になりました。
 しかし同居人がインフルエンザに罹患してしまい、私は一人、映画を観に行きました。
 小春日和にも関わらず、シネコンの前にはクリスマスツリーが飾られていました。
 もう師走が近いんですねぇ。








 観たのは「平場の月」です。
 かつてはあれほどホラー映画ばかり鑑賞し、恋愛映画など興味が無かったのですが、このところ映画やドラマで恋愛物を観るようになりました。
 精神の進化か退化か。
 神のみぞ知るといったところでしょうか。

 中学の同級生、青砥と須藤。
 15歳の頃に淡い恋をしていた二人がそれぞれの人生を歩み、青砥は奥様と離婚。
 須藤は夫と死に別れ、じつに35年もの歳月を経て再会を果たします。
 一人安アパートで暮らす須藤。
 二人は焼き鳥屋や須藤のアパートで頻繁に飲む関係になります。
 そして避けられない恋。
 二人は50歳になって再び恋に落ちるのです。

 しかし須藤が大腸がんであることが判明。
 経過は順調でしたが、突然、須藤は青砥に別れを告げます。
 互いに元気なら1年後に熱海旅行に行く約束をして別れます。

 1年後、青砥は須藤の死を知ります。
 彼女の妹から、経過は順調であったが、1年前の検査でがんが進行し、もうどうしようもない所まで行っていたと告げられます。
 須藤の最後の言葉は「青砥、検査に行ってるかなぁ」というものだったと知らされます。
 1年前の突然の別れの理由が明らかになります。
 そして青砥は行きつけの焼き鳥屋で生ビールを飲みながら号泣するのです。

 安っぽいと言えばこれほど安っぽい終わり方はないでしょう。
 死んで終わり、は反則です。
 しかし、よくある少女の難病にまつわる恋物語よりも、現実味があります。
 50歳という年齢がそう感じさせるのでしょう。
 若者の恋は麗しく、中高年の恋は深い、と感じさせられました。

 私は50歳をはるかに超えた56歳。
 同居人との関係は極めて良好で、喧嘩一つしたことがありません。
 喧嘩にならないというか。
 なので添い遂げることになると思いますが、必ずどちらかが先に亡くなります。
 私たちには子供がいないので、どちらかは人生の最後を一人で過ごすことになると思います。
 私が先に死ねば良いですが、不幸にして一人生き残ってしまったとしたら、私は何をおもうのでしょうね。
 そもそも耐えられるのでしょうか。