文学

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春めく

今日は馬鹿に暖かいですね。 これで一気に桜が開くでしょう。 すっかり春めいてきました。 春立つと 沖辺かすめる 湯の町に ひとり篭りて さびしくも居る 若山牧水の和歌です。 華やかであるべき春に寂しさを感じるというのは、我が国民の独特の感性でしょうか。 私も定年したら、春を、海辺の湯の町に1人で過ごしたいものです。 老人になった私がその時感じるのは、勤めあげたという充実感でしょうか。 それとも、くだらぬ仕事にかまけて人生の大半を過ごしてしまった切なさでしょうか。 今の私には、わかりません。 一つ言えるのは、定年後10年は生きたいということです。 先月父を亡くし、長生きしたいという思いを強くするようになりました。 長生きして、この世の快楽を舐めつくし、人類の行く末を見届けたい、と。 その思いは父が私に健康に留意せよ、という無言のプレッシャーを与えているのだと思っています。 春速く まよひ出でたる 蜂の子の 菜の花のうへを なきめぐるあはれ こちらも若山牧水の和歌です。 あんまり春早く出てきたので、菜の花をどうして良いかわからないんでしょうか。 あはれではありますが、生命の力強さも感じます...
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台風一過

気象庁は低気圧だと言い張っていましたが、昨日の暴風雨は台風としか言いようがないものでした。 それだけに今朝は台風一過の青空が広がっています。 通勤途中にみかける桜も二分咲きくらいにはなったでしょうか。 春から一気に初夏へと駆け抜ける予感がします。 誰の句でしたか、 台風一過 洗濯物の 翻る という、生活の力強さを感じさせる句を思い出しました。 雨が降ろうと台風が来ようと地震が起きようと、生きている限り、飯を食い糞をひねり労働に従事する、という基本は変わりようがありません。 その生活基盤を強固にすることの意味を感じさせてくれる句ですねぇ。にほんブログ村本・書籍 ブログランキングへ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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春の嵐

台風のような雨や風をもたらす低気圧が首都圏に接近中です。 首都圏の電車は早くも一部運休になったり、間引き運転をしています。 台風が来るとすぐに止まる、海の上を走る京葉線はすでに全面的にストップしたようです。 私はそんなニュースを見ながら、暖かい部屋でこの記事を書いています。 職場の温情に感謝です。 春の嵐というと、もう30年近く前、中学生の頃に読んだヘルマン・ヘッセの小説を思い出します。 私は14,5の頃、ヘルマン・ヘッセの作品を耽読しました。 ドイツ教養小説と称せられますが、それほど単純なものではないでしょう。 「春の嵐」は、芸術的衝動を抑えきれずに音楽家を目指す主人公が事故により身体障害者となり、絶望のどん底にありながら音楽に慰めや高揚を覚えるさまが、まわりの人間関係とともに、繊細に描き出された秀作です。  孤独の本態とは何者か、また幸福にいたる道とは何か、を問いかけてくるヘッセ前期の名作ですね。 後年、彼は東洋思想に目覚め、その作風は大きく変わっていきますが、「春の嵐」はそれよりも前、西欧的な教養を素直に信じていた頃の作品で、それだけに純粋な感じがします。 文庫本で読めるので、お...
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春一番

今日、関東では強い南風が吹いて、気温がぐんぐん上昇。 20度くらいまで上がりました。 遅い春一番ですね。 春一番が吹くと春本番だなぁと思うのですが、たいてい、春一番の翌日は寒いのですよねぇ。 三寒四温とはよく言ったものです。 畦の軍鶏(しゃも) 春一番を うたひけり   水原秋桜子 春一番の力強さを軍鶏に仮託して勢いよく詠んでいますね。 軍鶏というのが良いですねぇ。 なんだか戦闘的な感じが、春一番に合っているような気がします。 春一番 あしたの私 連れてくる   黛まどか こちらはまた趣が違いますねぇ。 春一番を、前向きにとらえて爽やかです。 でも私の世代だと、キャンディーズの「春一番」が思い出深いですねぇ。 まだ小学校三年生くらいでしたが、この歌で春一番という言葉を覚えました。 今ではスーちゃんはこの世になく、蘭ちゃんの娘が芸能界入りしたという話です。 ミキちゃんは専業主婦として頑張っているとか。 その後あまたの少女アイドルが生まれては消え、今はAKB48が飛ぶ鳥落とす勢いですが、少女アイドルというのはなにしろ寿命が短く、現代ではもっとも諸行無常を感じさせる存在かもしれませんねぇ。霜...
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春愁

なんとなく、今日は休暇を取りました。 激しい春の日差しに、気持ちがふさぎます。 今日は見事に晴れて、気温は17度まで上昇するとか。 完全に春愁の気にやられているようです。 黛まどかという俳人は春愁をストレートに表現しています。 代表的なのを、2句。 春愁の サーフボードに 鰭(ひれ)三つ キャデラックより 春愁の 令夫人 後の句は良いですねぇ。 お金持ちの奥様でも、いやだからこそ、春愁に襲われるんですねぇ。 春そのものが持つ気配のせいなのか、あるいは学年暦や会計年度が4月1日を以って変わる国に生まれ育ったがため、そういう気配を強く感じるようになってしまったのか、どちらなんでしょうね。 平成16年の精神障害を発症するまでは、それほど強く春の憂鬱を意識しませんでした。 してみると病気のせいなんでしょうか。 西行法師は「願わくは 花の下にて春死なん その如月の 望月の頃」と詠みましたが、私は春は嫌ですねぇ。 できれば厳寒の時季、北国で死にたいものです。 あまりの寒さに冷気は清浄を保ち、生命を保つのが難しいほどの寒気が襲う時季。 これ以上は無理なほど部屋を暖めて、布団のぬくもりを感じながら。に...
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