文学

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二日灸

今日は2月2日。 古来、この日に灸をすえると無病息災の幸運を得られると信じられ、二日灸と呼ばれてきました。 最近では廃れてしまったようですが、明治頃まではさかんに行われていたようです。 正岡子規が、二日灸を季語とした句を多く詠んでいます。  花に行く 足に二日の 灸(やいと)かな 二日灸は春の季語。 花見に行く足に二日灸の痕が残っているという、華やいだ趣の句です。  婆〃様の 顔をしぞ思ふ 二日灸 婆様、もう亡くなっているんでしょうねぇ。 灸をすえられて、昔婆様に灸をしてもらったことをおもいだしているのでしょうか。 柔らかい感傷が優しい印象を与えます。 無病なる 人のいたがる 二日灸 健康な人ほど灸を痛がるというのが面白いですねぇ。 大体健康な人は医者にかかったことも少なく、必要以上に医療行為を怖れるのかもしれませんね。 子どもが注射を怖れるようなもの。 私は灸というのは経験がありません。 ひどい寝違えをしたとき、針や按摩に行きましたが、たいして効かず、最後に整形外科に行ってもらった痛み止めが一番効きましたねぇ。 古来の知恵も結構ですが、今は安全で良い薬がたくさんあるので、西洋医学に頼...
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しつこい

ここ数日の寒さは馬鹿げているほどしつこいですね。 朝は氷点下まで下がり、公園や空き地は霜がおりて真っ白です。 大寒から立春までが一番寒いとは言いますが、今年は異常です。 しかも職場はウォームビズ。 暖房が弱めです。  私はフリースを着て股引きをはき、さらに膝かけをして仕事にあたっています。 廊下に出ればまた底冷えがして、トイレに行くのも喫煙所に行くのも、事務連絡のために他の課に行くのも億劫です。 冬枯れの 森の朽ち葉の 霜の上に 落ちたる月の 影の寒けさ  「新古今和歌集」に所収の藤原清輔の歌です。 寒いでしょうにずいぶん観察が細かいですね。 文学者というより自然科学者のような目で冬の寒さを観察しています。 寒さを盛り上げる、震え上がるような寒々しい和歌ですね。 この時季にこの歌を持ちだすあたり、私もやけくそ気味と見えます。 こう寒くちゃ、やれません。 しかし春はもうすぐそこ。 勢いを増した陽射しが、それを感じさせます。 春というのは憂鬱な季節ですが、寒いのもそろそろ限界です。新古今和歌集〈上〉 (角川ソフィア文庫)久保田 淳角川学芸出版新古今和歌集〈下〉 (角川ソフィア文庫)久保田 ...
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春へ

気温は冷えて、雪国では雪が猛威をふるっているというのに、陽ざしは狂的な凶暴さを秘めて、春の力が勃興してきているように感じられます。 立春は2月4日。 まだ一週間も先なのですねぇ。 春を待ち望む北国の方には申し訳ありませんが、私はもう少し、冷たく澄んだ冬が続いてほしいと思っています。 春は瘴気に満ちて荒々しく、変に気持ちが沈みますから。 雪ふれば 嶺の真榊(まさかき) うづもれて 月にみがける 天の香久山 「新古今和歌集」の藤原俊成の歌です。 見事な雪景色を詠んでいます。  でも私は、そのような見事な雪景色、見たことないんですよねぇ。 柄にもなく、バブルの頃スキーに出かけたりしましたが、スキー場の雪は言ってみれば土俵のようなもの。 雪景色を楽しむというのとは違っています。 東京にも毎年雪が降り、降った直後はきれいだなと思っても、すぐに茶色い汚い雪になってしまうのですよねぇ。 かといって、雪の北海道とか、雪の金沢や新潟にわざわざ雪景色を見に出かける気は起きませんねぇ。 おっくう過ぎます。 しかし時は残酷にすぎて、春愁の気が濃厚な季節が来るのですよねぇ。 キャデラックより 春愁の 令夫人 黛...
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文学と悪

昨夜、ジョルジュ・バタイユの「文学と悪」を読みました。 この作者にしてはわりあい分かりやすかったですね。 ブロンテ、ボードレール、ミシュレ、ブレイク、サド、プルースト、カフカ、ジュネの8人の作家を論じてエキサイティングです。 文学における悪とは何か、を追究します。 それは善を善として認めたうえで悪を志向しようとする嗜好、それは行動に対する文学の態度、神に対する悪魔の態度、大人に対する子供の態度としても捉えられる、とバタイユは論を進めます。 それには善悪を分ける倫理観が生まれていなければなりませんが、はるか古代、善悪が明瞭に分かれておらず、しかし本能的にこれは悪だというイメージだけがあった時、悪は強烈な魅力を放っていたと想像します。 「行動=神=大人」を断念することによって可能となる生き方・在り方、それが完全に正当化されることは、原理的には、生きているうちにはありえないことですが、正当化されえない生を自覚して生きること、これが文学における悪だと言うのです。 そうすると、大抵の文学者は子ども=悪で在り続けることになりますね。 これはかなりしんどいことです。 人間は自然に成長していくものです...
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昨夜は首都圏でまとまった雪が降りました。 まとまった、とはいっても積雪4~5センチ程度。 雪国の人から見たら、何をその程度で大騒ぎしておるか、と滑稽に見えることでしょう。 しかし、首都圏には年に1回か2回くらいしか雪が降らないうえ、積もるなんてことは数年に一度しかなく、公共交通機関も個人も雪には極端に弱いのです。 首都圏の人がちょっとした雪ですってんすってん転ぶのは、踵から着地する歩き方をしているためだそうで、雪国の人はつま先から着地するように歩いているため、あまり転ばないそうです。 そうはいっても、雪が降ったからといって、突然歩き方を変えるのは至難の業で、私も何度か転んだことがあります。 幸い怪我をするほど派手にころんだことはありませんが。 雪が降るといつも思い出す歌が二首あります。 わが里に 大雪ふれり大原の 古りにし里に ふらまくは後  (天武天皇) わが岡の おかみに言ひて ふらしめし 雪の摧し そこにちりけむ (藤原夫人) 私の里に大雪が降ったが、古びた大原の里なんかに降るのは後のことだ、と藤原夫人をからかう天武天皇。 それに対し、私の岡の龍神に言いつけて降らせた雪のかけらが...
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