文学

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感じる

学生の頃、所属していた浪漫文学研究会の宴会で、教授と助手がつまらぬ論争を繰り広げるのを耳にしました。 助手は、文学研究者は感じることを止め、自然科学者のような醒めた態度で文学作品にあたるべきだ、との論を繰り広げました。 それに対し教授は、感じることを止めたら文学研究は不可能であるし、そもそも感じることを止めるなどということは、人間には不可能であり、人間精神への冒涜である、と諭しました。 しかし助手は持論を曲げず、物語作者とその享受者に感じることを任せ、研究者は感じるべきではない、と言い張りました。 これは実におもしろい論争でした。 助手が言うことも分からないではありません。 若き研究者が、研究の神髄を真理の追究にあると考え、そのためには感情が邪魔になる、というわけですから。 それに対し、和歌から日本民俗、近現代文学まで広く研究する教授は、それは文学の神髄から外れる、と考えたのでしょう。 教授は我々学部学生一人一人に意見を求めました。 私は、料理を味合わずしてその見た目や栄養素だけを研究するのは不可能である、と応えました。 多くの学生も教授の論に賛成しました。 その半年後、助手は北海道の...
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冷奴

今日はめっきり冷えました。 明日はもっと寒いとか。 いよいよ冬本番ですね。 私は熱いお茶やコーヒーを好みません。 真冬でもアイス・コーヒーや冷たいお茶を飲んでいます。 なんだか冷たいほうが口の中がさっぱりするからです。 猫舌というわけではないんですけどねぇ。 そこであえて、夏の冷たい食い物を季語にした句を。 放蕩の ふぐり老いゆく 冷奴  角川春樹 私は角川春樹の句をけっこう好んでいます。 男らしく、言い切り系の句が多いのですよねぇ。 ふぐりとは睾丸のこと。 放蕩を重ねた男、おそらく作者自身でしょうが、その精が衰えを見せ始めた年頃に冷奴を食う、という句で、哀愁漂いますねぇ。 特に私は精神障害者になってから、めっきり精が衰えているので、身につまされる思いです。 まだ老けこむには早いんですが。 夏の句なので当然冷奴を食うのは暑い盛りなのでしょうが、私はあえて、冬、暖房の効いた部屋で食う冷奴の情景を思い浮かべたいですねぇ。 あぁ、今日はおのれのだらしなくなった下半身を哀しみつつ、冷奴で焼酎のロックでも飲みたい気分ですねぇ。海鼠の日―角川春樹獄中俳句角川 春樹文学の森白い戦場―震災句集角川 春...
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恐怖症と谷崎文学

世の中には様々な恐怖症を持った人がいますね。 一般的なところでは、高所恐怖症や対人恐怖症、水を異様に怖がる人や、暗い場所を怖がる人、日本にはあまりいませんが、欧米では広場恐怖症という人が大勢いるようです。 私は病気というほどの強い恐怖ではありませんが、斑点恐怖症と先端恐怖症と言われるような気持ちを持っています。 斑点恐怖症とは、虫がたくさんあつまっている所とか、イクラ丼とか、大雨とか、粒々がたくさんあると、ぞっとすることです。 この前ペットボトルのお茶を箱で買って、ふたを開けたらペットボトルの蓋がきれいに並んでいるのが粒々に見えて、非常に不快な思いをしました。 ひどい人になると粒々を見ただけで熱が出たりするらしいですから、不快に思う程度はなんてことないのですが、やっぱり気になります。 先端恐怖症を意識したのは、中学生の頃、谷崎潤一郎の「春琴抄」を読んだときですね。 「春琴抄」は盲目の三味線の美人師匠と、それに仕える丁稚の佐助の物語ですが、ある時春琴が熱湯を浴びて顔に大やけどを負い、それ以来人と会おうとせず、佐助と会うことまで嫌がるに及び、春琴を慕い尊敬する佐助は、自ら針で目を突いて盲目...
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ハムスター

今年度末で、就職して丸20年が経過します。 その間ずいぶん色々なことがありましたが、何かもどかしい思いを禁じ得ません。 20年、走ってきたことは間違いないでしょう。 それによって体力がついたか、あるいは消耗したかは不明ですが。 通常、走ればどこかへ行くものです。 しかし私は、ケージの中で回し車を走り続けるハムスターのように、同じところをただぐるぐる回っていただけのような気がしています。 仕事に関する知識や経験、人間関係、そういったものは蓄積されていますが、無駄に蓄積されただけで、一歩も進んでいないような気がします。 ハムスターを主人公にした児童文学に、「フレディ」シリーズという作品があります。 このフレディの思いが、不思議なほど私の心に刺さります。 ケージの中で回し車を回して一生を終えるなんて、ごめんだね。 いつか自由になれるっていう『ハムスター伝説』を信じて待ってたってだめさ。 自由を手に入れる方法は、自分で考えて、自分で探し出すんだ。 まあ児童文学ですから、子供騙しといえば子供騙し。 しかし文学というもの、もともと大人の男の嗜むものではありません。 差別的表現になりますが、あえて言...
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雲の墓標

先日NHKの「坂の上の雲」第3部を見てふと思い立ち、久しぶりに阿川弘之の「雲の墓標」を読み返しました。 京都大学で万葉集を学ぶ主人公が、学徒出陣で兵隊となり、特攻隊員として散るまでの心境を、日記形式でつづった名作です。 主人公は当初戦争にも軍隊にも強い嫌悪の念を抱いていますが、時の流れとともに心境は変化し、特攻隊員となる頃には死への恐怖すら薄れていきます。 日露戦争のように辛くも勝利した戦争と違い、必敗の可能性が濃厚になった頃、主人公の魂が救われるという逆説的な物語。 現実の特攻隊員の多くが恐怖におののきながら出陣していったものと思われますが、そう思うことは英霊への冒涜にもなりましょう。 同世代を生きた作者には、そう書かざるを得なかったものと思われます。 そういう意味で、戦後、大日本帝国を全面的に否定する論調が流行したことは、唾棄すべき事態であろうと考えます。 物事の善し悪しはともかく、祖国が存亡を賭けて戦っているとき、国民が勝利を信じて戦うのはむしろ当然のことで、一人日本だけが、近代帝国主義国家にも関わらず、戦っているそのさなかにそれを否定するわけがありません。 後世の異なる常識を以...
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