文学

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狂人日記

色川武大渾身の一作にして遺作となった「狂人日記」。 私は精神病を発症する10年以上前にこの読売文学賞受賞作品を読み、強い衝撃を受けました。 醒めては幻覚や幻聴に襲われ、寝ては悪夢に襲われる、そんな絶望のなかでも、主人公は他者とのつながりを求めます。 家族であったり、同じ入院患者であったり。 時には、精神病院のなかにあっても、人間的な、人とのつながりを感じられる瞬間をもつこともあります。 しかし彼の絶望は深く、自ら死を選ぶことになります。 他者と一体となりたい、という欲求は、彼にとってほとんど唯一無二の欲望のようです。 元気だった頃の私は、そんなものなかな、と思うだけでしたが、精神病を発症して、「狂人日記」に対する読み方が大きく変わりました。 主人公の魂の叫びは、すべて私自身の叫びであって、そういう意味で、私は虚構の狂人と一体となったのかもしれません。 それにつけても精神病というもの、いかにも厄介ですが、自分が精神障害者になってみると、この現代社会を生きていて、精神がどうにかならないほうが不思議に思うようになりました。 結局は自分の立場でしか、物を考えられないのでしょうねぇ。 この小説は...
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野分

二百十日頃に吹く強い風を、野分と言いますね。 今でいうなら秋の初めの台風ということですが、台風というのと野分というのでは、ずいぶん趣が違います。  「源氏物語」28帖には「野分」というタイトルがついています。 激しい風が吹く秋の日の出来事を物語っていますが、この物語全編を貫く色恋の情の激しさを象徴したものかと思われます。 片ぞらに 雲はあつまり 片空に 月冴ゆ野分 地にながれたり  若山牧水 近代歌人で私が最も敬愛する若山牧水の歌の中から、野分を詠んだものを選んでみました。 野分が行ってしまう情景を雄大に詠んでいます。 やっぱりただの大酒のみではありません。 きのふけふ 野分吹けども 枝葉のみ 茂り暗みて ダリヤは咲かず  若山牧水 こちらはどこかメランコリックな詠調ですねぇ。 こういうちょっと女々しい和歌も牧水先生の魅力なんでしょうねぇ。  今日は台風一過で真夏に戻ったようですが、明日からはぐっと涼しくなるそうです。 ふらふら散歩の季節ですねぇ。若山牧水歌集 (岩波文庫)伊藤 一彦岩波書店いざ行かむ、まだ見ぬ山へ―若山牧水の歌と人生伊藤 一彦鉱脈社源氏物語 (角川ソフィア文庫―ビギナ...
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言語感覚

先ほど歌番組を見ていて、わがくにびとの言語感覚はいったいどうなってしまったのかと、腹立ちを禁じえませんでした。 あまりにストレートな求愛、あまりにストレートな浅薄なメッセージ。 それもいい年をした大人の歌い手が、そんなものを歌っています。 それに比べれば、ほとんど意味がない、アイドルグループの歌のほうが、遊び心があって良いと思います。 私の推測では、演歌なるものの流行が、浅薄な歌詞の歌を横行せしめた元凶であるように思います。 好きだの愛してるだの惚れたのはれたの、そういうことをストレートに歌われると、聞いてるほうは白けちゃうんですよ。 もっとあっさりと、しかし切なく、分かりにくく歌ってくれないと、白けちゃうんですよ。 遥かなる 岩のはざまに ひとりゐて 人目思はで 物思はばや  西行法師 この和歌などいかがでしょう。 遥か山奥の岩のはざまで、ひとり恋の物思いに沈もう、というのです。 奥ゆかしく、それだからこそ、情の強さを自然に感じますね。 また、 みじか夜の 残りすくなく ふけゆけば かねてものうき 暁の空  藤原清正 は、どうでしょう。 夏の短い夜が残り少なくなって、明けないうちから...
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世をおさめ、民をやはらぐる道

その道さかりに興り、その流れいまに絶ゆることなくして、色にふけり、心をのぶるなかだちとし、世をおさめ、民をやはらぐる道とせり。 新古今和歌集「仮名序」に見られる和歌の効用です。 色にふけり、心をのぶるなかだちとするというのは素直に腹に落ちますが、世をおさめ、民をやはらぐる道とするというのは、なんとなく違和感を覚えます。 それはつまり、和歌によって政治的影響力が生じるということでしょうか。 かつて、ベトナム戦争激しい頃、反戦を専らとするフォーク・ソングというジャンルが流行りました。それはやがて、四畳半フォークなどと呼ばれ、生活上の哀感を歌う貧乏くさいものに進化もしくは退化していき、今ではほぼ絶滅しました。 音楽に限らず、絵描きでも小説家でも彫刻家でも、政治的メッセージを込める作品は少なくありません。 言いたい気持ちはわかりますが、私はこれを、芸術家の堕落としか考えられません。政治に色気を持ったなら、すぱっと政治家に転身すればよいのです。例えば石原慎太郎のように。今となっては石原慎太郎が元々は文芸の世界の人で、今も精力的に書き続けていることは、忘れさられてしまった感があります。 レーガン元...
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夜長

相変わらず残暑は厳しいのに、日は確実に短くなっていますね。 私はほぼ定時で帰宅します。 11月も終わりころになると、17時でも真っ暗なんですよねぇ。 あれはなんだか厭な気分になるものです。 やっぱり明るいうちに帰りたいですねぇ。 一方秋の夜長を楽しむ不良どもが平安貴族。 毎日昼頃起きてきて、深夜、牛車であっちの姫、こっちの姫と渡り歩きます。 破廉恥なやつらです。 秋の夜も 名のみなりけり 逢ふといへば 事ぞともなく 明けぬるものを 古今和歌集に見られる小野小町の歌です。 秋の夜が長いというのは名ばかり、あなたにあっていると、呆気なく夜明けがきちゃうんですもの、といった感じでしょうかねぇ。 遊んで生きていた平安貴族に比べて、百姓や漁師は毎日が生きるか死ぬかの戦いであったことでしょう。 そして平安時代、一般庶民が圧倒的多数。 雅な和歌などに接していると、ではこの頃、奴婢はどうやって生きていたのだろう、小作農はどうやって生きていたのだろう、という疑問に駆られます。 私たち安月給のサラリーマンは、いわば現代の水呑み百姓。 最低辺を生きていることは、間違いありますまい。 それならばなおさら、精神...
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