文学

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不感

近頃偽装結婚というと、外国人が日本国籍をとるために行うものというイメージが強くなりましたね。 しかし以前は、同性愛者であることを隠すために男性同性愛者と女性同性愛者が行うという印象が強かったように思います。 江国香織の小説に、「きらきらひかる」という作品があります。 アルコール依存症の女と同性愛者の男がお見合いをし、なぜか意気投合して互いの秘密を知った上で奇妙な夫婦生活を始めるというものです。 これに夫の恋人である男が加わり、三人の生活はますます奇妙の度合いを深めていくのですが、作者独特の感性が、この難しい題材を瑞々しく描いて秀逸です。  後に映画化もされ、夫を豊川悦司が、妻を薬師丸ひろ子が、夫の恋人を筒井道隆が演じて、どこか乾いた印象を与えました。 同性愛者同士の男女が結婚する場合、互いにメリットがあると思いますが、この小説では女はアルコール依存症というだけで異性愛者であり、同性愛の男と結婚することは、ほとんど無意味なことであるように思えます。 しかし、子どもが欲しくないとか、そもそも性交渉に拒否感があると言う場合には、その限りではないでしょう。 三島由紀夫に「沈める滝」という小説が...
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枯淡

今日は新古今和歌集の撰者、藤原定家の命日だそうです。 床の霜 枕の氷 消えわびぬ 結びも置かぬ 人の契りに   藤原定家 霜も氷も同じことですが、床と枕とで表現を変えているのは、いかにも新古今和歌集らしい高度な技法ですね。 下の句で急に女の厭らしさが出ているのが残念です。 藤原定家です。 この時期、藤原定家といえば、次の和歌にとどめを刺すでしょう。 見わたせば  花も紅葉も  なかりけり  浦の苫屋の  秋の夕暮れ なんとも寂しげな和歌ですね、こういう枯淡の境地に達するには、どれだけの和歌を詠み、修行しなければならないのでしょうか。 もちろん私でいえば、研究教育機関での事務職が、修行にあたるわけですが、これがなかなか枯淡の境地からは程遠いのですよ。 事務員にも教員にもいやなやつはいっぱいいるし、何かと逃げ腰の管理職はいるし。 結局人にもまれるのが、私の修行なんでしょうかねぇ。新古今和歌集〈上〉 (角川ソフィア文庫)久保田 淳角川学芸出版新古今和歌集〈下〉 (角川ソフィア文庫)久保田 淳角川学芸出版にほんブログ村 ↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
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狂人日記

色川武大渾身の一作にして遺作となった「狂人日記」。 私は精神病を発症する10年以上前にこの読売文学賞受賞作品を読み、強い衝撃を受けました。 醒めては幻覚や幻聴に襲われ、寝ては悪夢に襲われる、そんな絶望のなかでも、主人公は他者とのつながりを求めます。 家族であったり、同じ入院患者であったり。 時には、精神病院のなかにあっても、人間的な、人とのつながりを感じられる瞬間をもつこともあります。 しかし彼の絶望は深く、自ら死を選ぶことになります。 他者と一体となりたい、という欲求は、彼にとってほとんど唯一無二の欲望のようです。 元気だった頃の私は、そんなものなかな、と思うだけでしたが、精神病を発症して、「狂人日記」に対する読み方が大きく変わりました。 主人公の魂の叫びは、すべて私自身の叫びであって、そういう意味で、私は虚構の狂人と一体となったのかもしれません。 それにつけても精神病というもの、いかにも厄介ですが、自分が精神障害者になってみると、この現代社会を生きていて、精神がどうにかならないほうが不思議に思うようになりました。 結局は自分の立場でしか、物を考えられないのでしょうねぇ。 この小説は...
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野分

二百十日頃に吹く強い風を、野分と言いますね。 今でいうなら秋の初めの台風ということですが、台風というのと野分というのでは、ずいぶん趣が違います。  「源氏物語」28帖には「野分」というタイトルがついています。 激しい風が吹く秋の日の出来事を物語っていますが、この物語全編を貫く色恋の情の激しさを象徴したものかと思われます。 片ぞらに 雲はあつまり 片空に 月冴ゆ野分 地にながれたり  若山牧水 近代歌人で私が最も敬愛する若山牧水の歌の中から、野分を詠んだものを選んでみました。 野分が行ってしまう情景を雄大に詠んでいます。 やっぱりただの大酒のみではありません。 きのふけふ 野分吹けども 枝葉のみ 茂り暗みて ダリヤは咲かず  若山牧水 こちらはどこかメランコリックな詠調ですねぇ。 こういうちょっと女々しい和歌も牧水先生の魅力なんでしょうねぇ。  今日は台風一過で真夏に戻ったようですが、明日からはぐっと涼しくなるそうです。 ふらふら散歩の季節ですねぇ。若山牧水歌集 (岩波文庫)伊藤 一彦岩波書店いざ行かむ、まだ見ぬ山へ―若山牧水の歌と人生伊藤 一彦鉱脈社源氏物語 (角川ソフィア文庫―ビギナ...
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言語感覚

先ほど歌番組を見ていて、わがくにびとの言語感覚はいったいどうなってしまったのかと、腹立ちを禁じえませんでした。 あまりにストレートな求愛、あまりにストレートな浅薄なメッセージ。 それもいい年をした大人の歌い手が、そんなものを歌っています。 それに比べれば、ほとんど意味がない、アイドルグループの歌のほうが、遊び心があって良いと思います。 私の推測では、演歌なるものの流行が、浅薄な歌詞の歌を横行せしめた元凶であるように思います。 好きだの愛してるだの惚れたのはれたの、そういうことをストレートに歌われると、聞いてるほうは白けちゃうんですよ。 もっとあっさりと、しかし切なく、分かりにくく歌ってくれないと、白けちゃうんですよ。 遥かなる 岩のはざまに ひとりゐて 人目思はで 物思はばや  西行法師 この和歌などいかがでしょう。 遥か山奥の岩のはざまで、ひとり恋の物思いに沈もう、というのです。 奥ゆかしく、それだからこそ、情の強さを自然に感じますね。 また、 みじか夜の 残りすくなく ふけゆけば かねてものうき 暁の空  藤原清正 は、どうでしょう。 夏の短い夜が残り少なくなって、明けないうちから...
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