文学 諦め
昨夜、NHKの日曜美術館の上村松園の特集番組で、彼女が使っていた絵の具が紹介されていました。 強烈な赤の絵の具を見て、ふいに、ある歌を思い出しました。 ちょうど、プルーストが紅茶にひたしたマドレーヌを食べて、はるか昔の記憶を鮮烈に呼び起されて、「失われた時を求めて」を書き始めたように。 草わかば 色鉛筆の赤き粉の ちるがいとしく 寝て削るなり 北原白秋の歌です。 私はこれに13歳のときに初めて接し、自分は決して歌を詠むまい、と決めたのでした。 この歌に感銘を受けながら、同時にこのようなレベルの歌を詠む才は自分にはないことを、思い知らされたのです。 同じように、17歳の時に村上春樹の「世界の終りとハードボイルドワンダーランド」を読んで、自分が小説を書く意味はないな、と思いました。 こんな小説を書く人がいるのに、自分がくだらぬものを書いても仕方ない、と思いました。 しかし13歳の時との違いは、書くまい、と決めはしなかったことです。 それでくだらぬものを書いては出版社に送るということをして、二冊、世に問いましたが、ほぼ黙殺されました。 17歳のときの直感は当たっていたことになります...