文学

スポンサーリンク
文学

留学と疎開

わたしはいくさのあいだ、国外脱出がむつかしいので、しばらく国産品でまかなって、江戸に留学することにした。 上記は、戦後、石川淳が戦中の過ごし方を語ったものです。 優雅な話ですね。 軍靴が響き、焼夷弾が降る帝都で、江戸に留学していたとは。 そこで石川淳は、江戸狂歌のなかに、生活と文学とを一本に通して俗中に於けるこの虚構の世界よりほかに幸福をまかなふ道は無いといふ存外強烈なる人生観、を見出します。 一方同様に戦争中江戸文学に耽溺していた永井荷風は、怠惰な眠りを許してくれる退行的な揺りかご、として、言わば江戸に疎開していたように見えます。 ここに、永井荷風死後、死者を悼むものとは思えない、激烈に荷風山人を批判する「敗荷落日」が石川淳によって書かれなければならなかった、両者のスタンスの違いが見られます。 私は石川淳を深く尊敬し、永井荷風を敬愛するものですが、石川淳はあまりに厳しいように思います。 芸術家とはこうあらねばならない、という理想が強すぎて、くたびれちゃいます。 作品は奇想天外で面白いのに、その余で余計な理屈をこねて、読者を白けさせますね。 世界像との関係に於いて、地上に於ける人間の運...
文学

プロレタリア

少し前ですが、不景気の影響か、「蟹工船」が若者に人気を博しましたね。 恥ずかしながら、私もいい年をして初めてプロレタリア文学に接しました。 感想は、ああそう、というところでしょうか。 宗教であれ政治思想であれ、私は主持ちの文学を好みません。 そのせいか、国文学では中世説話を最も苦手とします。 しかし最近、プロレタリアを標榜する短歌や俳句、川柳に接する機会があり、新たな発見をしました。 けっこう面白いのです。 宮城の つい目のさきの 闇市の 人間像を凝然とみる 市の悪 むしろ絢爛たるいのち 太陽ここに明日も照るべし いずれも坪野哲久の作です。 闇市のなかにもたくましく生きる庶民が描かれています。 この歌人は、戦前治安維持法違反で検挙されているそうです。 射抜かれて 笑って死ぬるまで 馴らし  堤 水叫坊 手と足を もいだ丸太に してかえし   鶴 彬 川柳もけっこう頑張っています。 川柳はプロレタリアというよりブラックユーモアですね。手足を失った体を丸太に譬えるなんて。きついですねぇ。    プロレタリア文学者というのは一般に辛い現実を描きだすのが上手です。 しかし不思議なことに、明治4...
文学

自由に

定型からも季語からも解き放たれた自由律俳句。 自由に作っていいよ、と言われても、かえって戸惑うのが俳句詠みの常。 それでも自由律俳句ばかりを詠み続けた明治生まれの二人。 種田山頭火と尾崎方哉。 そして、昭和の終わりとともに25歳で逝った住宅顕信。 種田山頭火の句は明るく活発。 尾崎方哉の句はさびしく不気味。 住宅顕信は尾崎方哉に憧れて、憧れの人のゆえか若くして発病した難病のゆえか、幸薄く鋭利。 この旅 果てもない旅のつくつくぼうし  種田山頭火 蟻を殺す 殺すつぎから出てくる      尾崎方哉 とんぼ 薄い羽の夏を病んでいる     住宅顕信 私はあまり自由律俳句を好みませんが、上の三人は別格というか、多分従来の形式では表現し得ない世界を持ち、それを現すのに自由律俳句が最も適していたのでしょうね。 素人が手を出すと、限りなく滑稽に堕しますので、ご注意。 上の三句は、夏と虫という共通点で選びました。 それぞれの俳人の特徴がよく出ていると思います。  明治生まれの二人は高学歴ながら酒で身を持ち崩し、最後は知り合いの寺に厄介になりました。 住宅顕信は学歴はなく、酒もやらず、出家しました。 ...
文学

電話男

今、インターネットの普及によって見ず知らずの人とコミュニケーションをとることは、当たり前になっています。 今から26年前、1984年に書かれた「電話男」は、電話によって赤の他人たちとのコミュニケーションを図り、それによって彼我ともに癒される存在を描いて秀逸です。 電話男(電車ではありません)は、日がな一日電話の前で、悩める人々からの電話を待つのです。 それはテレクラのような会うことを目的としたものではなく、ただ電話があり、電話男がいて、電話が鳴るのです。 彼らは闇の存在ですが、同じく闇に住むテロリストの標的になっていきます。 対面でのコミュニケーションを阻害する不逞の輩として。 人とのコミュニケーションを求め、それがはかないことを知って絶望する、そして、テロリストに狙われる。 今日のインターネット社会を凌駕する切なくて残酷な物語が、ユーモアを交えつつ加速度をつけて展開されます。 これは某文芸誌の新人賞を受賞しましたが、ずいぶん評価が分かれたそうです。 しかし時代は「なんとなく、クリスタル」だとかニュー・アカデミズムだとかが流行っていました。 斬新なものが受け入れられる素地があったのでし...
文学

高校野球

夏の甲子園大会も佳境を迎えていますね。 私は元来、高校野球を好みません。 技術も未熟だし、体もひょろひょろで頼りない。 そのうえ用もないのにヘッドスライディングなんかしてユニフォームに土をつけて喜んでいるのがあざとい感じがします。 しかし、因縁浅からぬ高校が出場すると、そうは言っても気になります。 東東京の関東一高と千葉の成田が対戦しました。 東東京は私のふるさと。関東一高に進んだ友人も大勢います。 一方千葉は現在私が住まいする地。 職場の人々はみな成田を応援していました。 結果、成田が快勝しましたね。 関東一高の選手も悔いはないのではないでしょうか。今やかの 三つのベース人満ちて  そゞろに胸のうちさわぐかな若人の すなる遊びはさはにあれど ベースボールに如く者はあらじ 野球をこよなく愛した正岡子規の歌です。 私はスポーツは苦手で、もっぱら観戦するほうですが、ときには自分にもスポーツの才能があったらいいな、とおのれの運動音痴を嘆くのです。正岡子規―ベースボールに賭けたその生涯城井 睦夫紅書房
スポンサーリンク