文学

スポンサーリンク
文学

辞世のことば

中西進先生の「辞世のことば」をぱらぱらとめくりました。  この新書は、二十年以上前から、甘い死の誘惑にとらわらたときに読んでいるものです。死の誘惑にとらわれたときに、死を目前にした人々の言葉に生きる勇気を与えられるなどと、なんという皮肉でしょう。 例えば、次のような歌。「つひに行く道とはかねて聞しかど 昨日今日とは思はざりしを」(在原業平)。 稀代のプレイボーイも、平凡に死を迎えているところに、人間の死の軽さと尊厳が同時に見て取れます。おそらくこのような心境が、多くの人の真実に近いのではないでしょうか。 さらに、次のような詩。「行列の行きつくはては餓鬼地獄」(萩原朔太郎)。 萩原朔太郎らしい不気味な感じと同時に、どこか滑稽味を感じます。もとより、いつ死ぬか知らぬのに、死ぬと思って辞世をよむのは、滑稽なことです。 自死や刑によるものなら知らず。 最後に、私が最も尊敬する俳人、与謝蕪村の句。「白梅に明くる夜ばかりとなりにけり」 名句です。 与謝蕪村は、自身の死後、自身は白梅に明くる夜ばかりを過ごすというのです。極楽に咲くという蓮でもなく、日本人の好きな桜でもなく。 うなる以外にありません。...
文学

発心集

鴨長明の「発心集」を読みました。 これは、図書館で借りた「方丈記」に併せて載っていたので、気の進まないまま、とりあえず読みました。 内容は、仏教説話集。 私は、これが苦手です。 大学は国文科の出なので、一通り、古文漢文の類は学びましたが、学生の頃から、仏教説話集は苦手です。 なにしろ、抹香くさい。 それならいっそ、仏教書を読んだほうがよほど楽しめます。 全国の説話好きのみなさま、ごめんなさい。
文学

方丈記

鴨長明の「方丈記」を読みました。 なぜか突然、有名な冒頭「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず」、というフレーズを思い出したからです。 初めて読んだ学生のころ、なんだか言い訳くさい随筆だな、と思いました。  しかし、今読むと、また違う感想を持ちます。  世を捨てて隠棲した筆者に、シンパシーを感じます。  今の私は、精神科医から出勤を禁じられ、いはば、期間限定の、世捨て人。その期間も、定かではありません。 鴨長明のように、方丈(約四畳半)の庵があって、時折琵琶を奏で、四季の移ろいを感じられれば満足、というわけにはいきませんが、私とて、どうせ出世するはずもなく、金持ちになれるわけもなく、私はただ、三食を食らって、夕餉にはわずかの酒を飲み、古人の残した名文に接し、その真似事ができれば満足です。 それにしても、日本の古典に接すると、現代作家も、作詞家や歌手も、仮に接したことはなくても、古典や日本の文化伝統から抜け出せないことを、思い知っていただきたいと思うばかりです。
文学

紫苑物語

石川淳の「紫苑物語」を読みました。 20年ほど前に初めて読んでから、何度読み返したかしれません。 私は、この小説を、古典と現代文学の交錯点と考えています。 石川淳が良く使うフレーズ「魂の運動」がこめられています。 文体も美しい。  私が昨日まで必死になって書いていた小説が何者だったのか、切なくなります。紫苑物語 (講談社文芸文庫)立石 伯講談社↓の評価ボタンを押してランキングをチェック!
文学

原稿送付

先ほど、完全原稿を文藝春秋社あて、送付しました。 気が抜けたような感じです。 明日以降、うつを警戒しなければなりません。
スポンサーリンク