文学

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弁天小僧

近頃私は、仕事を終えて帰るなり、一杯やりながらユー・チューブで落語を楽しむのを常としています。 お気に入りは、今は亡き古今亭志ん朝師匠。 爽やかな江戸弁と、すっとこどっこいな感じ、それに色気がたまりません。 今日は珍しく、ユー・チューブで歌舞伎を鑑賞しました。 出し物は、「弁天娘女男白浪 」。  尾上菊五郎、中村吉右衛門、松本幸四郎などが出演する、豪華な演目です。 私はなにしろ当代の菊五郎が贔屓で、その姿、声、しゃべりを観ていると、うっとりしてしまいます。 さすがに今となっては老いてしまいましたが。 菊五郎は、声よし、姿よし、顔よし、で、難をつけるところが見当たりません。 強いて言えばたっぱが低いことですが、それとて江戸っ子らしくてよろしく思えます。 ウドの大木みたいな江戸っ子では、観ているほうが白けるというものです。 何度か、歌舞伎座や国立劇場で菊五郎の芝居を観ましたが、私はもういっちゃいそうです。 で、今日観た芝居は、さる大名のお嬢様に化けた菊五郎演じる弁天小僧が、仲間とともに呉服屋に騙りに入り、もう一歩で百両せしめようと言うところ、悪事が露見してしまうというシンプルなお話。 弁天...
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二百十日

今朝は台風一過の青空が広がっています。 空気も乾いて過ごしやすく、大分秋めいてきました。 今日はジャケットを羽織って出勤しました。 この夏、ついに職場に半袖を着用して出勤することはありませんでした。 節電要請が無かったため、冷房がよく効いていますので。 私の職場のエアコンは30年前のもので、細かい温度設定ができません。 弱・中・強だけです。 弱でもかなり冷えるので、半袖ではいられないというわけです。 最も、私以外は全員半袖ですが。 私が住まいする千葉市ではさしたる被害はありませんでしたが、京都の嵐山、ひどいことになっていましたねぇ。 多くの観光客が訪れていたでしょうから、生きた心地がしなかったものと推察します。 8月末に運用が開始された特別警報が、初めて発出されました。 数十年に一度、甚大な災害が予想される場合に出されるとのことですが、これはあんまり乱発しないほうが良いでしょうねぇ。 狼少年みたいになってはいけませんから。 こうして着実に季節は秋に向かっています。 二百十日と言いますが、本当にこの時季に台風が多いのですねぇ。 もっとも昨日は、二百十日より二週間ほど後ではありますが。 「...
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独り酒

ようやっと、今日の業を成し終えました。 なんだか疲れました。 この疲れを癒すのは何かと問われれば、そんなことは知れたこと。 わずかな酒であるに違いありません。 秋の夜、独り飲む酒は格別です。 白玉の 歯にしみとほる 秋の夜の 酒は静かに 飲むべかりけり   私が最も愛する大酒のみの歌人、若山牧水の歌です。 このブログで何度も紹介しました。 月花も なくて酒のむ 独り哉 花にうき世 我が酒白く 飯黒し いずれも松尾芭蕉の句です。 松尾芭蕉というと、求道的なイメージが強いですが、酒もやったんですねぇ。 酒が白いというのはどぶろくで、飯が黒いというのは玄米ということでしょうか?芭蕉全句集 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)雲英 末雄,佐藤 勝明角川学芸出版 川風や よい茶よい酒 よい月夜 単純な作りですが、明るい感じが悪くありません。 情趣には欠けますが。 芭蕉の弟子、室井其角の句です。其角俳句と江戸の春半藤 一利平凡社 酒と言うのは不思議なもので、全く受け付けない人もいれば、大酒を連日喰らってアルコール依存症になったり、肝臓を患ったりする人もいます。 私は医者から、今の酒量を続けていれば、...
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西洋風の詩的意匠

私はかねてより近代詩や現代詩が苦手で、敬して遠ざけてきました。 なんとなれば、近現代詩の多くは、西洋の手法を真似ながら、彼我の言語の成り立ちの違いゆえ、違和感を感じるからです。 一般に、わが国の詩がまがりなりにも日本語として定着したのは萩原朔太郎以降だと言われています。萩原朔太郎詩集 (新潮文庫)河上 徹太郎新潮社 しかし私の印象では、萩原朔太郎の詩群ですら、和歌や俳句に比べ、日本語として無理があるように感じられるのです。 そんな中、比較的好んでいるのは日夏耿之介の詩群でしょうか。日夏耿之介詩集 (1953年) (新潮文庫〈第557〉)日夏 耿之介新潮社 日夏耿之介は、西洋風の詩的意匠と、日本語、とりわけ雅語及び漢語による文語調との接木細工による奇怪な詩的世界を追求したという意味で、類まれな言語感覚を有していたと言って良いでしょう。 それはおそらく、上田敏の「海潮音」に連なる、象徴派の系譜に連なるのでしょうが、ことはそう簡単ではありません。海潮音―上田敏訳詩集 (新潮文庫)上田 敏新潮社 上田敏が日本語として小慣れた、七五調で西洋の詩を翻訳によって導入し、しかも日本人の感性に合うような...
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演説歌

わが国には、演歌と総称される歌謡曲の一分野が存在します。 しかしこの演歌というものほど、その定義が曖昧なものもありますまい。 元々は、明治時代、自由民権運動に励む人々が、一般庶民に分かりやすいように節をつけて歌った演説歌が始まりとされているようです。 その後、民謡などわが国古来の歌謡に合わせ、西洋音楽の7音階から第4音と第7音を外し、第5音と第6音をそれぞれ第4音と第5音にする五音音階を使用することから、ヨナ抜き音階と呼ばれる音階法を用いた歌謡曲が多く製作され、歌詞においては、悲恋や不倫を含めた男女の情愛、家族愛、職場での結びつきなど、広く人間の情愛を主にしたものが製作され、多くの日本人の心を捕らえました。 一方、淡谷のり子などは演歌を毛嫌いし、演歌撲滅運動などを繰り広げました。 演歌なるものが、古来からの日本人の歌謡の美意識から遠く離れていることは、少しでもわが国の古典文学を学んだ者には自明の理です。 したがって、アナウンサーなどが、「演歌は日本の心です」などと明らかに歴史的に誤った発言をすると、虫唾が走ります。 それは間違いです。 演歌なるものがなぜ現在の60代以上の人々の心をとら...
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