文学

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蓮翹忌

今日は蓮翹忌ですね。 高村光太郎の忌日です。 昭和31年の今日、73歳で亡くなりました。 蓮翹(レンギョウ)の花が好きだったことから、この名前がつきました。 高村光太郎というと「智恵子抄」が有名ですが、私は彼の戦後の行動に興味をそそられます。 すなわち、戦意発揚のために多くの戦争詩を書いたことを反省し、花巻の片田舎に粗末な小屋を建て、反省の日々を過ごしたのです。 勝負は時の運。 敗れたからと言って、いちいち文化人が反省する必要などありません。 反省するとしたら、敗戦を招いた政治家や軍人が、敗れたことを反省すべきであって、戦争が起きたことを反省したところで詮無いことです。 なんとなれば、戦争は相手があってのこと。 米国は太平洋を支配する欲望に駆られて何が何でもわが国を叩く決意を固めていたのですから、わが国がいくら譲歩したところで、戦争を避けることは不可能だったでしょう。 連合国の宣伝を信じ込み、わが国が一方的に悪であったと信じるなど、高等教育を受けたインテリの取る態度ではありません。 もう少し冷静になりなさい。 多くの文化人が戦争協力に対する反省の意思表示を行っていたところ、小林秀雄だけ...
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桜の森の満開の下 

通勤の車から、途中、何か所か桜並木や桜が植えられた公園の桜をぼんやりと見つめました。 満開を過ぎ、もう散り始めていました。 日本人は桜をこよなく愛し、桜の下で宴を催すのは、国民的行事とさえ言えます。 桜が咲くさまは、まるで狂気を帯びているかのような華やかなものです。 そして散り乱れるさまは、その狂気に輪をかけたような烈しさで、観る者を圧倒します。 咲き乱れる桜の森を歩くと気が狂う、と書いたのは坂口安吾でしたか。 名作「桜の森の満開の下」にみられます。 篠田正浩監督によって映画化もされました。 怖い物なしの山賊がなぜか満開の桜を恐れるのです。 山を歩く人々から金品を奪い、男は殺し、気に入った女は女房にする生活。 7人もの女房とわが世の春を謳歌していた男が、絶世の美女にして稀代の悪女を手に入れたとき、彼は悪女の毒と桜の瘴気に触れて、破滅への道を突き進むのです。 私はそこまで桜を怖れるものではありませんが、しかしやはり、桜には狂気を感じます。 そのような魔を潜めている桜にわがくにびとがこれほど魅かれるということは、仏教的無常観どころではない、ほとんど死に狂いとでもいったような観念に、とらわれ...
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時分の花

この花は、まことの花にはあらず。ただじぶんのはななり。 世阿弥の能楽書、「風姿花伝」に見られる有名な一節です。 芸本来の美とは別に、若さゆえの華やかな美しさが表れるということでしょうか。 自分が40代になって、確かに若いというだけで人は美しいと思うようになりました。 それは男も女も。 それは言ってみれば、赤ちゃんは可愛いみたいなものなのだと思います。 しかしそれは、世阿弥が指摘したごとく、所詮は時分の花でしかありはしません。 真の円熟した美とはおよそ異なるものです。 私は時分の花を咲かせる時期はとうに過ぎました。 それを惜しいとは思いません。 なぜなら、30歳くらいまで、私は存分に若さゆえの美しさを利用してやりたい放題しましたから。 ただ、やりたい放題やったがゆえに、今の私に時分の花という言葉は無縁になったはずだと思います。 「泥棒日記」などで有名なフランスの作家、ジャン・ジュネは同性愛者で、しかも麻薬はやる、盗みはやるとやりたい放題で、しかし初老の紳士の陰間となって可愛がられることに無上の喜びを感じていました。 老いて、小説家としての地位を確立した頃、彼は美少年を愛でることしか出来な...
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憂悶

今年はばかに春の訪れが早いようで、もう桜が満開です。 私はといえば、相も変らぬ俗事にかまけ、せっかくの週末、花見に出かけることもままなりません。 来週末、花が散り乱れているであろう頃に、花見に出かけようかと愚考しています。 せめてはかねて愛吟しながらあまりこのブログで取り上げなかった詩歌でも紹介しましょうか。 あはれなり わが身のはてや あさ緑 つひには野べの霞と思へば 新古今和歌集にみられる小野小町の歌です。 野べの霞とは、一般的に火葬の際の煙がたなびく様と解されています。 絶世の美女と呼ばれた小野小町も年老いて、春愁とともに世の無常を詠みこんだものと思われます。 次はいっそ思い切り美的な西行法師の春の和歌を。 春風の 花を散らすと見る夢は さめても胸の 騒ぐなりけり 桜が散るさまの美しさを、これほどの烈しさでもって詠んだ歌も少ないでしょうねぇ。 父は西行法師に憧れていたようですが、私はその歌の烈しさと、美を追求する執念みたいなものが、なんとなく怖ろしく、単純に西行法師に憧れるような気持ちにはなれません。 歌がうま過ぎるのと烈しすぎるので、おそらく平安末期の歌詠みからは嫌われていたん...
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他生の縁

今日は疲れました。 湘南国際村での式典が15時30分に終わり、車で帰って家についたのが18時。 18時半から精神科の予約をしていたため、そのままクリニックに向かいました。 クリニックまでは車で20分ほどですが、100キロ以上運転した後では、その20分も苦痛でした。 通常土曜日に診察を受けているところ、一か月ほど前から同居人もプレ更年期障害と思われる不定愁訴のため、同じクリニックに通院しており、クリニック近くの職場で働く同居人は金曜日の夜に診察を受けていることから、同じ日に合わせたというわけです。 同居人にはごく少量の抗うつ薬のジェイゾロフトと、これまた最少量の抗不安薬のメイラックスが処方されていますが、年度末に伴う職務多忙のため、気持ちが沈むようで、抗うつ薬のジェイゾロフトが最少量の25mから50mに倍増となりました。 このところ好調の私はといえば、薬に変化はありませんでした。 それでも私の薬は同居人の倍以上です。 とはいえ、私が一番たくさん薬を飲んでいた頃に比べれば、五分の一くらいにまで減っています。 パワハラ事件の直後は、フラッシュバックや悪夢に悩まされ、幻覚や幻聴を抑える統合失調...
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