文学

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八十八夜

今日は八十八夜ですね。 立春から八十八日目。 霜が降りる最後の頃とされています。 文部省唱歌、「茶摘み」には、 夏も近づ く八十八夜 野にも山にも若葉が茂る 「あれに見えるは茶摘みぢやないか あかねだすきに菅(すげ)の笠」 とあり、まさに夏が近付いているのを実感できる頃であり、この時季に摘んだお茶は品質が高いんだそうですね。 ただ、二十四節季もそうですが、もともとは旧暦だったものを、そのまま新暦になっても使っているため、どうしても季節感がぴったりきません。 旧暦と新暦だとざっと一ヶ月半ずれますから、昔の5月2日は今で言う6月半ばということになり、それなら本当に夏も近付くという気分になろうというものです。 1月1日を新春と言いますが、これも旧暦であれば2月半ば。 陽射しが力強くなり、春を予感させます。 新暦の正月は真冬で、春を感じることはありません。 石原慎太郎が主張していますが、新暦に合うように二十四節季を変更すべきだろうと思います。 そうでないと、季節感を大切にするわが国民が、季節感に倒錯を感じ、ひいては季節の移ろいにものを思うという美風が損なわれるような気がしてなりません。こどもと...
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妖怪 寝肥

江戸時代の「絵本百物語」という図鑑に、妖怪 寝肥(ねぶとり)という化け物が出てきます。 寝てばかりいれば太るのは当然で、ろくに働かずに食っちゃ寝の生活を戒めるための妖怪だとも言われています。 これ、私には耳が痛いですねぇ。 今でこそ学生時代と同じくらいの体重に落ちましたが、うつ状態がひどい時は毎日23時間くらい寝ており、しかも食欲は落ちなかったことから、みるみる体重が増えて、1年で20キロ太りました。 血液検査の結果、コレステロール、中性脂肪、血圧、血糖、すべてが正常値を上回ってしまい、メタボリック症候群だと言われました。 もともと痩せ型だったのが急速に太ったため、腹が邪魔で、靴下を履いたり足のつめを切るのも難儀しました。 165センチの身長で、最大74キロまでいってしまいました。 まさに妖怪 寝肥(ねぶとり)です。 太っていた時期は三年くらいで、昨年3月に父が亡くなってから急速に体重が落ちました。 とにかく食欲が湧かないのですよねぇ。 最初のうちは精神的ショックで食欲が落ちたのだと思いますが、少ない食事を続けているうちにそれに慣れてしまい、胃が小さくなった上に、揚げ物などの脂っこいも...
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独り酒

昨夜はわずか3時間の残業で疲労困憊してしまい、帰るなり風呂にも入らず、晩飯も食わずに寝てしまいました。 おかげで今朝は5時にぱっちりと目を覚まし、絶好調でした。 ここ数日、忙しい日が続き、気が付いたら三日連続で晩酌をやりませんでした。 あんまり疲れると酒を飲む気が失せるのですよねぇ。 今日は日中、絶好調で仕事をこなし、はかどりました。 おかげで今日は定時で帰り、ひとっ風呂浴びて三日ぶりの晩酌を楽しんでいます。 飲まない夜には爽やかな喜びが、一杯やる夜には強烈なアルコールによる快感と背徳の喜びがあります。 どちらもそれぞれに気分が良いものですが、朝のことを考えると飲まないほうがよろしいようです。 そうと知っていて性懲りもなくまた一杯やっている私は、よほどの愚か者と見えます。 わが国の料理は、懐石など、酒飲み用にできていて、下戸が酒席に出るのはさぞかし辛かろうと思います。 そういう意味では、私のような酒飲みにとっては、へヴィな料理が出ず、全体の量も少ない懐石はありがたいものです。 古来、わが国では、花や月、雪などを、季節感を込めて詩歌に詠んできましたね。 そしてそれ以上に、酒を詠んだ和歌や...
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サラリーマン川柳

気が付けば今日も2時間の残業。 それも会議の前の議長との事前打ち合わせが長引いて。 サラリーマン川柳に面白いのがありました。 日々、会議 必要なのか 日々、懐疑 我が意を得たりという感じですねぇ。 わが国の組織で行われる会議は無駄に長く、しかも回数が多いように思います。 そんな些細なことどうでもいいじゃん、と思うようなことまで、とりあえず議題に乗っけます。 議長にしてみれば、独断専行と言われるのが怖くて言い訳の為にやってるんでしょうねぇ。 それで資料が増えて、迷惑な話です。 もう一つ、心の叫びを。 「宝くじ 当たれば 辞める」が合言葉 これも私が始終妄想していることですねぇ。 一発当てて、高等遊民の生活を楽しみたいものです。サラリーマン川柳 いちおし傑作選やく みつる,島田 駱舟,第一生命NHK出版サラリーマン川柳 にんまり傑作選やく みつる,島田 駱舟,第一生命NHK出版にほんブログ村人気ブログランキングへ
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寒い春

今日はなんだか肌寒い一日でした。 もう4月も下旬だというのに。 山深み 春とも知らぬ 松の戸に 絶え絶えかかる 雪の玉水 「新古今和歌集」にみられる式子内親王の和歌です。 山奥では春の訪れにも気付かぬまま、小屋の戸に雪解け水が玉となって流れている、と言ったほどの意味でしょうか。 そう言ってしまうと、身も蓋もない感じがしてしまいますが、この和歌が与える印象は鮮烈です。 詩歌の言葉というものは、そもそも解説や解釈を拒絶しているようなところがあり、古いだけで我々が操っている日本語なのですから、現代語訳などということ、無意味などころか有害だとさえ言えるでしょう。 しかるに、中学や高校の古文の授業というのは、古典を味読するのではなく、後付けの無理目な文法を教え、それを元に現代語訳させるという、誠に愚かな方法を採っています。 これでは古典嫌いを増やすために教えているようなもので、ただちに改善すべきでしょうね。 日本語であればこそ、日本語のネイティブである私たちは、100遍も200遍も音読すれば、分からなかった古人の思いが素直に腹に落ちるというものです。 それだけ読み込んで分からなければ、たぶんどう...
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