
芸術と酒なしで生きる
夏の終わりが近づいているようです。 今さら感が漂う今日の暑さも、夏の断末魔のような気持ちさえしてきます。 この猛烈な残暑のなか、ぼんやりとした頭で、はるか昔に読んだ、芸術についての思索が浮かんでは消えていきます。 芸術もまた、儚い夏の如くだからでしょうか? 芸術論というのはあまりにもたくさんあって、正直、何が何だかわかりません。 しかし、ニーチェ中期の芸術観は分かりやすいのではないでしょうか。 芸術と酒なしで生きること。-芸術作品は酒と同じような事情にある。つまり、両方とも必要とせず、いつも水ですませ、その水を塊の内部の火、内部の甘美さでくりかえしおのずと酒に変えていくほうがずっとよいのである。 「人間的な、あまりに人間的な」という著作にみられます。人間的な、あまりに人間的な〈上巻〉(新潮文庫) (1958年)阿部 六郎新潮社人間的な、あまりに人間的な〈下巻〉(新潮文庫) (1958年)阿部 六郎新潮社人間的な、あまりに人間的な (まんがで読破)ニーチェイースト・プレス 正直難解ですが、この一節はすとんと腹に落ちます。 芸術を、陶酔を求める酒か麻薬のようなものと見なすのは、分かりやす...