思想・学問

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エリートとコスモポリタン

最近ようやっと、ゆとり教育の弊害が広く国民の間に浸透し、教科書も厚くなり、ゆとり教育は崩壊しました。 私はゆとり教育が始まった頃から、まずい風潮だと思ってきました。 知識の詰め込みは良くない、自分で考えて、個性を生かせる教育をすべきだと言うのですが、基礎的な知識が無いまま考えろと言われても、それは独善にならざるを得ません。 また、個性の無い人間はいない、という掛け声のもと、個性的であれ、という意見もありました。 しかしそれは、個性と言うより性格と言うべきでしょう。 真なる個性は、個性を殺すような教育を受けてこそ、それを跳ね返して飛びぬけてくるものです。 まして教育というのは、一般社会でまともに役立つ、普通の人を作ることが目的です。 他人を尊重できて、きちんと社会情勢に興味を持って、礼儀正しい、普通の日本人です。 エキセントリックというか、個性的な人間は作るのではなく、勝手にそうなるのです。 かつて、大正時代くらいまでは、日本人の教養と言えば、仏書漢籍や国文学が基本でした。 夏目漱石や森鴎外などの明治の文豪は、方や英国に、一方はドイツに留学して西洋の教養を身につけましたが、その精神の核と...
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耶蘇教

わが国においては、戦国時代にサンフランシスコ・ザビエルが耶蘇教を伝えましたが、ついにわが国にその教えが根付くことはありませんでした。 当時の宣教師の日記に、「日本人は他のアジア人と違い、日本人は極めて好奇心が旺盛で、天文の話などを熱心に聞きたがる、しかし、神の話には関心を示さない」と嘆いています。 宣教師は当然、神様の話を日本人に広げたかったものと思いますが、日本には八百万もの神様がおわしまし、そこに1柱くらい加えようがどうということは無いというのが、当時の日本人の素朴な感情だったようです。 今もなお、日本人は耶蘇教に転じる人はごくわずかで、実家の宗旨を知らなくても、とりあえず仏教徒であるという意識だけはあるように感じます。 実家の宗旨を知らないことは、責められてもおかしくないように思いますが、私は逆に感じます。 仏教は東南アジアの上座部仏教(小乗仏教)も、北東アジアで花開いた大乗仏教も、その根本は同じだという認識で一致しており、そこが小さな宗旨争いを繰り返す耶蘇教やイスラム教と大きく違っています。 実家の宗旨を知らなくても、大きな意味で仏教徒であるという自覚があれば、それは立派な仏教...
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韓国面に落ちる

近頃インターネットで、韓国面に落ちる、という言葉を時折見かけます。 これは要するに、韓国人の激しい反日行動に対して、日本人もまた、韓国人のように激しく韓国を貶めたりけなしたりする言論を行うことを指します。 韓国人のように感情的にならず、冷静に、理性的に物事を見ようというメッセージが込められているものと推測します。 もちろん、「スター・ウォーズ」シリーズで、ジェダイの騎士が誘惑にまけてジェダイから外れ、悪に染まる様を、暗黒面に落ちる、と表現したことのパクリです。 善悪という観念はなかなか難しいものです。 例えばキリスト教では神様の存在を認めますが、すると当然悪魔の存在をも認めなければならず、悪魔は強大で怖ろしく、この世は神と悪魔の永遠の闘争と見なされます。 しかし、悪魔の親分は元はと言えば神様に仕えていた天使の中でも最も格が高い大天使だったわけで、神様は部下に反乱を起こされ、これの鎮圧に未だ成功せず、テロ攻撃のようなものにさらされ続けているということになるのではないでしょうか。 日本神話では、天照大神の使者が天から降りてきて、日本を治めていた大国主命に国を譲れと迫り、大国主命と長男は相手...
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祝祭

イスラム社会では、先日ラマダーン(断食月)が終わり、今祝祭の大宴会を各地で開いているようです。 そして、8月10日と言う日は、イスラム教の開祖、ムハンマドが、初めて神の啓示を聞いた日とされています。 西暦610年のこの日、ムハンマドの前に大天使ジブリールが現れ、啓示を与えられたのだとか。 単なる商人だったムハンマドは、当初何が起きているのか理解できず、ひどく怯えて、奥様に窮状を訴えたと伝えられます。 しかし、神からの啓示が続き、やがてムハンマドはこれを正しい教えと信じ、啓示をそのまま書き起こした「クルアーン」を著し、布教に専念します。『クルアーン』―語りかけるイスラーム (書物誕生―あたらしい古典入門)小杉 泰岩波書店聖典「クルアーン」の思想――イスラームの世界観 (講談社現代新書)大川 玲子講談社 私たち東洋人から見ると、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教はどれも似たような教えだと感じます。 天地創造や最後の審判などの根本教義がほぼ一緒です。 違うのは、救世主(メシア)の考え方。 ユダヤ教は未だ救世主(メシア)は現れておらず、今後現れると考えます。 キリスト教はもちろんキリストが、イス...
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情けは人のためならず

昔から、情けは人のためならず、と申します。 他人に親切にすれば、めぐりめぐって自分の利益になる、ということでしょうか。 このたび、概ね誰にでも親切な小学生とそうではない小学生に対する友人の態度の違いに関する研究成果が発表されました。 それによると、いつも友人たちに親切に接している子供に対しては、友人たちも親切に接し、しかも親切な友人を持った子供は、その親切な子供だけではなく、他の子供にも親切に接するようになるそうです。 素晴らしい正の連鎖ですねぇ。 最近、暴力を受けて育った人は自分が親になると子供に暴力をふるうことが多いとか、負の連鎖の話ばかりでしたから、久しぶりに良い話を聞きました。 子供に限らず、誰もがそうでありたいと思います。 私には子供がいませんが、私は親から叱られた記憶がほとんどなく、当然手を上げられたことなど一度もありません。 そのため暴力に対するハードルが極めて高く、さらには争いごとを好みません。 ただし、喧嘩を売られた時は別です。 売られた以上、買うしかありません。 かつて私に暴言を吐いた上司に対し、弁護士を立てて公文書による謝罪と損害賠償を求め、謝罪文と損害賠償100...
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