
エリートとコスモポリタン
最近ようやっと、ゆとり教育の弊害が広く国民の間に浸透し、教科書も厚くなり、ゆとり教育は崩壊しました。 私はゆとり教育が始まった頃から、まずい風潮だと思ってきました。 知識の詰め込みは良くない、自分で考えて、個性を生かせる教育をすべきだと言うのですが、基礎的な知識が無いまま考えろと言われても、それは独善にならざるを得ません。 また、個性の無い人間はいない、という掛け声のもと、個性的であれ、という意見もありました。 しかしそれは、個性と言うより性格と言うべきでしょう。 真なる個性は、個性を殺すような教育を受けてこそ、それを跳ね返して飛びぬけてくるものです。 まして教育というのは、一般社会でまともに役立つ、普通の人を作ることが目的です。 他人を尊重できて、きちんと社会情勢に興味を持って、礼儀正しい、普通の日本人です。 エキセントリックというか、個性的な人間は作るのではなく、勝手にそうなるのです。 かつて、大正時代くらいまでは、日本人の教養と言えば、仏書漢籍や国文学が基本でした。 夏目漱石や森鴎外などの明治の文豪は、方や英国に、一方はドイツに留学して西洋の教養を身につけましたが、その精神の核と...