社会・政治

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長崎の原爆

じつは私は、母が幼少の頃長崎で被爆した被爆2世です。  そのせいか、あるいはそれなのに、私は8月のマスコミが垂れ流すセンチメンタルな被害者面が、腹が立つほど憎いのです。 戦争で人が死ぬのに、拳銃も通常爆弾も原爆も変わりはありません。その人にとっては、ただ苦しんで死ぬのです。 それを原爆被害者ばかり悲劇のヒロインのように仕立て上げるそのあこぎさは、詐欺師の技ともいうべきでしょう。 日本人も中国人もイギリス人もアメリカ人もドイツ人も、個々人の被害が悲劇的なのは同じことです。 戦争による悲惨ばかり言いたてたところで、将来の平和になんの役も立ちません。  悲惨だといえば、応仁の乱も、前九年の役 も、後三年の役も、日清日露も、みな悲惨です。  しかしなぜか、日本人は太平洋戦争の悲惨ばかり強調するのです。  直近の負け戦だからでしょうか? 二度の世界大戦に参加した国家の国民として、悲惨ばかり言いたてるのは、あまりにも不真面目だと思います。 戦争に至ったその経過、理由、当時の世論などを、全国民がつぶさに学ぶべきです。 起きてしまった後は、死力を尽くして戦うのが当然ですから、戦争の被害や加害を知るより...
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タリバン

昨日の新聞に、鼻と耳を切り落とされた若い中東の女性の写真が掲載されていました。 12歳で無理矢理タリバンの兵士と結婚させられ、夫の暴力に耐えかねて18歳で家出したところ、捉えれれて、夫に恥をかかせた罪により、タリバンに鼻と耳を切り落とされたそうです。 今は人権団体に保護され、アメリカで整形手術を待っているとか。 イスラム社会では犯罪者に対する罰として手や足をちょん切る、という話は聞きますが、まさか夫の暴力から逃れるための家出を犯罪とし、しかも厳罰を与えるとは。 日本だったら夫が犯罪者です。 私にはどうすることもできません。 せめて悲しむだけです。 ところ変われば品変わる、とは言うものの、なんとも残酷な話です。 イスラム教が持つ暴力性を垣間見た気がします。 イスラム穏健派はイスラム教は平和な教えだと言いますが、これほど世界中で問題を起こしている宗教は他にありません。 イスラム穏健派の主張は、私には信じることができません。  多様性を認めるおおらかさを持ってほしいものです。 イスラム教徒にバーミャンを爆破されても、抗議しただけで報復など考えもしなかった仏教徒のように。タリバン (光文社新書...
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子孫のために

私は、子や孫のために、現在の核保有国は核兵器を保持すべきだと考えています。 広島の式典に米英仏の代表が参加したと喜んでいますが、三国とも、将来の核廃絶を望むと言うばかりで、自国の核を減らすとは、一言も言いません。 仮に、核保有国がこぞって核を廃棄した場合、世界は、その瞬間から核の脅威に怯えることになります。 なぜなら、ここを先途と、テロリストや国際協調など歯牙にもかけない国家が、いつ核を保有するかもしれないからです。 いってみれば、人殺しの道具を持つのは良くないと、おまわりさんから拳銃を取り上げた途端、拳銃を利用した事件が頻発するようなものです。 戦後、わが国では、平和ということが絶対的な価値であるかのような幻想にとらわれてきました。 しかし、世界には、正義のためには殺し合いをいとわない人々が大勢いるのです。もちろん、その正義とは普遍的なものではなく、その人々が思う正義です。 そんなことは、新聞を毎日読んでいれば、迫力をもって、いやでも胸に響いてきます。 戦国時代、鉄砲があれほど素早く日本全土に普及したのは、勝つためでした。飛び道具とは卑怯なり、と言ったって、効率的に敵を殲滅できる道具...
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マンハッタン計画

マンハッタン計画とは、第二次大戦末期、ナチス・ドイツの原爆開発計画に危機感を抱いた亡命ユダヤ人が米国政府に働きかけて原爆を開発、使用した一連の計画です。 マンハッタン計画では二つのタイプの違う原爆を使用し、人体にいかなる影響があるかを探ることを目的の一つとしており、現実に広島と長崎にタイプの違う原爆が投下され、多くの被爆者は治療されることなくモルモットのように経過を観察され、データを米国に送られる、という屈辱を与えられました。 この計画は行きつくところまでいってしまいました。 すなわち、末期がんの患者18名にプルトニウムを直接注射し、その影響を観察したのです。 これが暴露されたことがきっかけになって、1996年、大統領諮問委員会が、過去、どのような核の人体実験が行われたかの調査を行いました。 知的障害者に放射線物質を混入させた食事を取らせたり、がん患者に全身放射線照射をおこなったり、合計23,000人以上の米国人が核の人体実験の被害にあったことが判明しました。 この計画の暴露や、冷戦終結、反核運動など、複雑な要素がからみあって、国際司法裁判所は、1996年、一般原則として核兵器の使用は...
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広島

今日は広島に原爆が投下された日ですね。 駐日米大使と国連事務総長が平和祈念式典に出席するとかで、広島市長は浮足立っているようですね。 日本政府は戦後一貫して核軍縮に反対する立場をとってきました。アメリカの言いなりになって。 非核3原則は、とうの昔に破られましたし、今後も破られるでしょう。 作らず・使わずはともかく、持ち込ませず、は無理でしょう。アメリカの原子力空母は何度も日本に寄港していますし、そのたびにどこかに核兵器を下してくるなんて漫才のような話は聞いたことがありません。そもそも核兵器を積んでいない原子力空母なんて、無意味です。 もう六十五年も前なのに、今日から長崎の8月9日、敗戦の8月15日と、マスコミは先の大戦を取り上げてセンチメンタルにヒートアップしていきます。  戦争はいけません、核兵器は廃絶しましょう。 それはあんまり当たり前で、言っても切ないばかりです。 それを言うと、自己満足の思考停止状態に陥ります。 怖ろしいことに、困難を伴う具体策を考えなくなってしまうのです。 いやむしろ、困難を避けるため、あえて空念仏を唱えている気味さえあります。 私はそういう言辞を聞くと、非常...
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