社会・政治

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マンハッタン計画

マンハッタン計画とは、第二次大戦末期、ナチス・ドイツの原爆開発計画に危機感を抱いた亡命ユダヤ人が米国政府に働きかけて原爆を開発、使用した一連の計画です。 マンハッタン計画では二つのタイプの違う原爆を使用し、人体にいかなる影響があるかを探ることを目的の一つとしており、現実に広島と長崎にタイプの違う原爆が投下され、多くの被爆者は治療されることなくモルモットのように経過を観察され、データを米国に送られる、という屈辱を与えられました。 この計画は行きつくところまでいってしまいました。 すなわち、末期がんの患者18名にプルトニウムを直接注射し、その影響を観察したのです。 これが暴露されたことがきっかけになって、1996年、大統領諮問委員会が、過去、どのような核の人体実験が行われたかの調査を行いました。 知的障害者に放射線物質を混入させた食事を取らせたり、がん患者に全身放射線照射をおこなったり、合計23,000人以上の米国人が核の人体実験の被害にあったことが判明しました。 この計画の暴露や、冷戦終結、反核運動など、複雑な要素がからみあって、国際司法裁判所は、1996年、一般原則として核兵器の使用は...
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広島

今日は広島に原爆が投下された日ですね。 駐日米大使と国連事務総長が平和祈念式典に出席するとかで、広島市長は浮足立っているようですね。 日本政府は戦後一貫して核軍縮に反対する立場をとってきました。アメリカの言いなりになって。 非核3原則は、とうの昔に破られましたし、今後も破られるでしょう。 作らず・使わずはともかく、持ち込ませず、は無理でしょう。アメリカの原子力空母は何度も日本に寄港していますし、そのたびにどこかに核兵器を下してくるなんて漫才のような話は聞いたことがありません。そもそも核兵器を積んでいない原子力空母なんて、無意味です。 もう六十五年も前なのに、今日から長崎の8月9日、敗戦の8月15日と、マスコミは先の大戦を取り上げてセンチメンタルにヒートアップしていきます。  戦争はいけません、核兵器は廃絶しましょう。 それはあんまり当たり前で、言っても切ないばかりです。 それを言うと、自己満足の思考停止状態に陥ります。 怖ろしいことに、困難を伴う具体策を考えなくなってしまうのです。 いやむしろ、困難を避けるため、あえて空念仏を唱えている気味さえあります。 私はそういう言辞を聞くと、非常...
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100歳

100歳以上のお年寄りで所在不明の方が大勢いるらしいですね。 一体どこへ行っちゃたんでしょうか。 下衆の勘繰りをすれば、死んでいるのに年金ほしさに遺族が隠している、というのが多いような気がします。 そうだとしたら、あまりにもせこい話です。 でもこういうのは困りますねぇ。 死んだなら死亡届を出してもらわないといけないし、生きているなら民生委員等が訪問した際に会ってもらわないと。 警察じゃないんだから、昼寝してます、とか、出かけています、とか言われたら、引き下がる他ありません。 長寿大国なんて威張ってますけど、平均寿命、下がっちゃいます。
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同性婚

参議院選挙が行われたばかりですが、民主党が主張していた選択的夫婦別姓法案はどうなったんでしょうね。 私は以前このブログで、選択的夫婦別姓法案に賛成である旨の記事を書きました。 選択できるんだからいいじゃないか、という主旨です。 さらに進んで、日本ではあまり問題になりませんが、同性婚を認める法律を制定すべきだと考えます。  日本は古くから男色の盛んなお国柄。 昔は義兄弟、最近は養子縁組が一般的なようですが、この際、異性間の夫婦と同じような権利義務を与えて、一般社会に受け入れるべきでしょう。 数年前に大阪府議会の尾辻かな子議員が女性同士二人でウエディングドレスを着て結婚式を挙げた、ということが話題になりました。 もちろん、日本では同性婚は認められていないので、法的なものではありません。 ←尾辻かな子議員のHPです。 SMであれ同性愛であれ、性的嗜好によって差別してはいけませんし、同性婚もしくは結婚に準じた制度が、先進国の多くで制定されています。 じつはこれは、夫婦別姓よりも大きな問題だと考えます。 生殖だけが性の役割ではありません。 生殖だけなら、強姦でも、精子バンクでも、可能です。 私た...
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下村容疑者のブログ

上記URLをクリックしていただければ、下村容疑者のブログにジャンプします。  幼い乳幼児二人を放置して死にいたらしめるという残虐性と、子育てに奮闘するブログの様子では、同一人物に思えません。 ブログを見ていただければ、膨大な量のコメントが寄せられているのが分かります。 多くは、下村容疑者を責めるもの。また、日本社会の変容に言及するものもあります。 そしてコメント欄は掲示板の様相を呈し、コメント者同士で傷つけあうような、異様な雰囲気になっています。 この事件がもたらした奇妙な居心地の悪さは、どこから来るのでしょう? 母親が育児放棄したこと、離婚前は子煩悩で子育てに熱心だったこと、部屋に戻らず、海水浴をしたり酒を飲んだり遊び呆けていたこと、反省の弁が聞かれないこと、色々考えても、しっくりきません。 他にも児童虐待で我が子を殺した親はいます。 しかし今回の事件は、虐待ではなく、育児放棄。 たぶん死んじゃうんだろうな、でもまあいいか、というような気楽さが感じられます。 この気楽さが、ニュースに対する違和感に通じているように思います。 起きてしまったことはもう取り返しがつきません。 今後の日本で...
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