奇跡的な僥倖
今日は東京大空襲があった日ですね。 私の義理の祖母、つまり同居人の母の母親が東京大空襲で亡くなっています。 ために義理の母は姉と一緒に祖母を母代りとして育てられたそうです。 義理の伯母、つまり義母の姉は、今も東京大空襲の慰霊祭に欠かさず出席しています。 当時本所に住んでいた義母、その時の印象が強烈なせいか、どんな田舎に住んでも構わないが、東京の下町にだけは住みたくない、と言っています。 よほど辛かったのでしょうねぇ。 私の実母は命は助かったものの、長崎で被爆しています。 東京大空襲にあった義母と原爆の被害にあった実母。 私にとっては生まれる前のはるかな過去である惨劇が、この世代以上の人にとっては、まさに生々しい実体験としてあるのでしょうねぇ。 朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争などなど、間断なく戦争を続けてきた米国などとと違い、わが国は戦後、戦火に見舞われることはありませんでした。 それは奇跡的な僥倖と言ってもよいでしょう。 それはいくつもの偶然が重なった結果であって、決して紙に「国権の発動たる戦争を禁じる」と書いたからではありますまい。 紙に書いたことなど、苛烈な現実を前に...